『いったい、どれだけあれば足りるのか?』 | 夢しか実現しない。

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こんばんは、ほったです。
 
いつも来てくださる方、
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訪問していただきありがとうございます。
 
今日も世界を変えるためにブログを書かせてもらっています。
 
 
毎週金曜日に、
人生という旅において指針になる言葉を書いていますが、
今週は諸般の事情で土曜日掲載します。
 
少しでも多くの人が有意義な人生を送れることを願って。
 
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<今日の言葉>
 
『いったい、どれだけあれば足りるのか?』
 
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みんながお金を欲しがります。
そしてお金にしがみつきます。
しかし、お金が一番力を持つのは「お金を手放すとき」。
欲しいものがあるとき、まずあなたがその源泉になるのです。
すると、皮肉にもお金がどんどん流れ込みます。
そしてあなたは、
欲しがっているものを既に豊かに持っています。
この事実に気づくとき、あなたは事実の豊かさを経験します。
 
 
■私が知っていることを話しますと、
明日は私たちによって創られるということです。
 
21世紀のビジョンを答えるとするならば、
それはふたつのコンセプトから成り立つ、
経済的、精神的、政治的、社会的な原則からできてるものです。
 
第一のコンセプトは、『私たちはひとつ』だ。
 
そんな原則が実践されるのを想像できますか?
この地球上で経済的に、政治的に、精神的に・・・・。
 
そうしたらきっと言葉では説明できないほどの大変革が
もたらされるでしょう。
もちろん良い方向へとです。戦争は明日にも終結するでしょう。
『私たちはひとつ』であるという原則の下では、
争いはほとんど不可能になります。
暴力につながるような見解の不一致が続くことも
なくなるでしょう。
 
21世紀に思い描くのは、
できるだけ早いうちに『私たちはひとつ』であるという
スピリチュアルな真実に基づいた経済が実現することです。
それは可能のように思います。
この経済社会は、所有権についてのすべての概念を消し去る
でしょう。
 
そこには誰も何も所有せず、ただあるものの世話役になることが
許容される未来です。
 
実際、私たちは物だけでなく人間までも所有していると考えて
いました。
夫は妻を所有し、夫と妻はその子供たちを所有していると。
森や農地なら、もっと簡単に考えやすいと思います。
 
■しかし未来には、私たちがもはや子供たちを所有しないのと
同じように、土地もまた所有しないことが当たり前になります。
 
私たちは今、人間同士については、お互いに所有すべきものでは
ないことをはっきり認識するところまで成長してきました。
 
妻は夫の所有物ではないし、夫は妻の所有物ではありません。
 
そこからやっと所有という感覚を手放し、配偶者と同じように、
子供たちも所有するものではないと気づくところに来たのです。
 
 
ところで、これは昔からあった考えでありません。
まだほんの50年前ほどの前からやっと理解され始めたことです。
明確になってきたのはたぶん、ここ30年ぐらいでしょう。
 
そして最近になってようやく、
「私たちは権利書があるからといって、
 頭上の空がそうでないのと同じに、
 足元の土地もまた所有しているわけではない」
というさらに新しい考えに至りました。
 
しかしまだ政府のようなところではこんなことを言っています
「これは我々の空域だ―高度はどこまでだ?」
このことをめぐって国連では以前大きな対立がありました。
人工衛星がある国の領域の上空を飛んでいるとことで、
国連内に大論争が巻き起こったのです。
 
 
「空域の高度は?」
「ある領域は、その上空のどの高さまでを有するのか?」
「いったいどこまで?宇宙の果てまで?」
 
 
こうしてそれが、どんなに馬鹿げたことか気づき始めたのです。
空の次は当然、「では地面の下は?地中にある鉱物は?
おまえたちのものだというのか?」ってことになります。
 
特定の国を悪く言うつもりはありませんが、
実際に地下資源を所有している国もあります。
オイル?
もしその権利があるとしたら、深さはどこまでだ?
「地面の終わるところ、つまり地球の反対側に顔を出すまでだ」
と言い張る者がいるかもしれません。
 
でもそれなら、誰もがすべてを持っているというのと同じです。
 
もし本当に足元の地面はどこまで行っても自分のものだとしたら、
自分が地球の反対側まで所有しているという、
まったくおかしな話になるのです。
 
■だから要するに私たちは、遅かれ早かれ、
「誰も何も所有していない。
 ただ、その管理をしているだけだ」
というレベルまで成長するでしょう。
 
そしてこのレベルに至ると、所有権があると思っているかぎり
それは誰かの所有物で、「この土地は私のものだから、
私の好きなようにしていいんだ」とばかりに、
今、母なる地球、この惑星に対してやっているような土地の略奪や
環境の破壊をついにはやめることになるでしょう。
 
そして21世紀経済の次のレベルでは、
ついに『十分にある』ということを確実に理解するようになる
ところまで至るでしょう。
 
幸せのために必要だと思うものはなんでも、
みんなで分かちあうだけ『十分にある』ことがはっきりと
わかるようになります。
 
本当は、この星には、たった今だって十分にあるのです。
でもこの見解には、とても多くの人たちが反対するでしょう。
 
彼らはこう言います。
「あんたはそこに居て、足りてるだの十分だのって話してられる
 けれどね。こっちでは飢えているんだよ。我々には十分な
 食べ物がない。住むところも十分ではない。服も足りなければ
 金もない。あんたの豊かな暮らしにあるようなものなんて、
 ありゃしないんだよ」
 
 
そう、確かにそうです。
彼らは今、十分に持っていません。
でもその理由は、周りに物が十分にないからではなく、
それを持っている人たちに分けあう気がないからです。
 
 
世界の9割の資産を、全体の1割の人間が所有していることは、
秘密でもなんでもありません、周知の事実です。
それは、自らを高度に発達し、理解ある気高い存在だと
宣言している者たちの社会に相応しい態度と言えるのでしょうか。
 
どう考えたら、どんな理由で、進化した存在の社会で、
たった1割の人間が、全体の9割の資産や資源を所有することが、
正当化されるのでしょうか。
 
「わからない奴だなー。これは私のものなのだ。そのために働いて
 私が買い取ったものなのに、おまえになんでやらなければ
 いけないんだ」
などといって、分かち合いを拒めるのでしょうか。
 
残りの9割の人たちが、想像もできないほどの混乱のなかに
生きながら、資源や物質を簡単に利用するのを許されていない
ことに、暴動を起こさないでいることは、
さらに信じがたいことです。
 
だけど、そこで考えるべきことは、人々が暴動を起こさない理由が
人間として良心的であるためというよりも、世界中のほとんどの
人たちが、その事実をしらないため、ということです。
 
■ある一部の支配層が、世界の持たざる人々が教育を受けられる
ようにすることに尻ごみする理由はこれです。
 
知識はパワーだからです!
 
それにもまして彼らは、経済の流通や地球の資源の分配システム
がとんでもなく不公平であることに、人々が気づき始めてしまう
のを知っているからです。
 
21世紀には、こんな妙な常識と、その不当性にちゃんと目を
向け、ついにはそれをなんとかするために動き出すでしょう。
 
「いったい、どれだけあれば足りるのか?」
それが9割を持つ1割の人々への問いです。
 
「いったい、どれだけあれば足りるのか?
 あなたが満足するまでに、
 人々はどこまで苦しまなくてはならないのか?」
 
これは、経済についての問題じゃありません、
これは、スピリチュアルな問いなのです。 
  
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▼今日の日記▲
 
雨の一日、
これからの生き方について少し考えてみました。
何をどうしていくのかというものは出ませんでしたが、
こんなことをしていきたいなぁーと思うことはでてきました。
 
来年こそは、自分が活き活き働けるように
していきたいですね。
 
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【最後に一言】
 
最高な自分で毎日を生きる!
 
 
最後までお読みいただきありがとうございます。
今日も善き一日になりますように。