こんばんは、ほったです。
いつも来てくださる方、
はじめての方、
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訪問していただきありがとうございます。
今日も世界を変えるためにブログを書かせてもらっています。
毎週金曜日は、
人生という旅において指針になる言葉を書いています。
少しでも多くの人が有意義な人生を送れることを願って。
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<今回のことば>
『ひとつであることを生き始める!』
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「愛とは?」
人間はずっと問い続けてきました。
「愛とはいったいなんなのだろう?」
相手との境界を取り払い、深くつながり合うこと。
裸になって人生の飛び込み、すべてと解け合うこと。
「命はひとつ」と感じて本当の自分に戻ること。
―それが「大いなる愛」です。
「大いなる愛」に基づいて、パートナーとの関係、
結婚のカタチを考えます。
これまで求めても得られなかった、
強い絆に結ばれた、刺激的で、ワクワクする、
ロマンティックな関係を、手にするのです。
■私たちは生まれ育った文化、社会のなかで、本当の自分より
ずっとちっぽけな自分を常に経験しています。
人が集団で暮らし始めたときから幾世代にもわたって
受け継がれてきた筋書きです。
そうして私たちが今生きている社会では、
自分を取り巻く何もかもが、
自分が「本当の自分」であることを否定しています。
「私たちが生きているのは要求と欠乏の世界である」
「私たちの存在は小さく、バラバラに分離している」
と教育され続けているのです。
■それも、早くからです。
まだ自分という存在への驚きと賛美にあふれている3歳の子ども
に、両親は「静かにしなさい!」と怒ります。
大いなる自分を表現しようとするたびに、
周りから「小さくなれ、小さくしていろ!」
と要求されます。
そうして20歳か30歳になるころには、
すっかり「ちっぽけな自分」に慣れてしまい、
生き残るためにそこにとどまろうとします。
大きくなろうとすれば必ず、
ハンマーでたたきつぶされてしまうからです。
■世界を変えてきたのは、小さな自分でいることを拒んだ数少ない
人たちです。
彼らは自分の問いかけました。
「もし、本当の自分がもっと大きな存在なら?
私の人生のビジョンがもっと壮大なものだとしたら?
いったい何が起こるのだろうか?」
と。
■そうして彼らは、
本当の自分と偽りの自分という二元性を克服し、
分離をいう幻を超えて、ひとつであることを生き始めました。
本当の自分、大いなる自我を生き、
彼らは触れるすべての存在に真実の愛を感じ、
経験したのです。
実は、
私たちもそうできているんです。
しかし、
それを忘れてしまうのは、
『恐れ』を感じてしまうからなのです。
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▼今日の日記▲
朝から憂欝な気分な一日でした。
それでというわけでもないのですが、
お昼にちょっとした用事があり、
お昼頃にブログをアップできませんでした。
申し訳ありません。
明日に出そうと思います。
にしても、
憂欝な出来事は、
自分がそう感じているだけで、
実際は、
憂欝な出来事でなく、
楽しい出来事にもなるものでした。
それじゃ、
楽しいことになったのかといえば、
あんまりならなかったかなというところはあります。
しかし、
しゃべるだけしゃべることはできたので、
ここからが始まりかなと思うところはあります。
また、来月ありますが、
どうなることやらというところです。(笑)
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【最後に一言】
お前に俺の何がわかるんじゃー
最後までお読みいただきありがとうございます。