こんばんは、ほったです。
いつも来てくださる方、
はじめての方、
通りすがりの方。
訪問していただきありがとうございます。
今日も世界を変えるためにブログを書かせてもらっています。
毎週金曜日は、
人生という旅において指針になる言葉を書いています。
少しでも多くの人が有意義な人生を送れることを願って。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
<今日の言葉>
『手の感覚を失ったとき、どんな感じでしたか?』
─────────────────────────────
生きることに窮屈さを感じる人が増えています。
それは、
あなた自身のすべてを表現していないからかもしれません。
素晴らしい人生を送りたいのなら、すべてを許し、
身体・心・魂の全部をいきる必要があります。
あなたも自分らしく生きてみませんか?
■仏教では「人生は苦なり」と言いますが、
「苦しみ」は相対的なもので、何をもって「苦しみ」と呼ぶかは
人によってまちまちです。
例えば慢性的ば痛風患者の場合、
一日のうち痛くないのはほんのしばらくの間で、
それ以外は、ずっと痛みがありますが、
それも、ものすごく痛いときと比べたら、
痛みのうちにはいらないことがあるそうです。
■「痛み」も「苦しみ」も相対的であるということは、
あるレベルではいつでも誰もが、
痛みのなかに生きているともいえるわけですが、
なかでも肉体的にひどい痛みにある人が精神的な気づきを得、
悟りに至る例はよくあります。
肉体的な痛みはしばしば、本当に大切なものは何か、
自分は何者かなどについての考え方を変えてしまうものです。
■ある人からの話しですが、
スピリチュアルなところで働いていたときに、
よく、死期を迎えた人の家を訪ねていたそうです。
そこでは本当に素晴らしい学びがあり、
本当に何かを学びたいと思うなら、
1週間に10人、死にゆく人たちの家を訪問してみたら、
医者や看護士でもないかぎり、経験できない経験をたくさんした
そうです。
そして、
そのころに訪問していた女性は、
身体の動きと感覚が徐々に失われていくという症状にありました。
訪れる度に前回よりいくつかの身体の機能が失われ、
とうとうある日、それが彼女の手にまで至りました。
それはちょうど彼女が、生後数週間の赤ん坊を抱いているとき
でした。
ある瞬間に彼女は、自分の手がもはや動かなくなっている
ことに気づいて、静かにこう言いました。
「私、もう赤ちゃんを抱いていけないわ。
彼女が動いたとき、
ちょっとつかまえておける自信がないもの」
そこときに、
その方のメンターが、彼女の経験をより深く知るために質問
しました。
「手の感覚を失ったとき、どんな感じでしたか?」
すると彼女は、落ちついた様子で答えました。
「ええ、手が動かなくなって気づいたとき私は、ちょうど、
この8ケ月のかわいい天使さんが彼女のおててを目の前に
持ち上げて、それを自分で動かせるのを発見して喜んで
いるのを見ていたのよ・・・・・。
だから私には、命が私から彼女に、手から手へ伝わって
いったように思えたわ」
■そういうことが本当に起こったと言っているのではなくて、
彼女のこの比喩的な捉え方こそが大切なのです。
許容力を超えた痛みが、彼女を普通の状態で行き着くことの
ない気づきへと導いたのです。
私たちが喪失と呼ぶ痛みを経験しながら、
彼女は悟りの境地に至ったということです。
だから、痛みによって悟ることがあるかといえば、
答えはYESでしょう。
それは、以外によくあることだと思います。
**********************************************************
▼今日の日記▲
ブログを書くのがだいぶ遅くなってしまったのですが、
あるミーティングに22時ぐらいまで参加していました。
とっても熱気溢れる場で、
途中ぼけーっとしてしまいました。
とはいえ、
自分の存在価値を発揮できたのかといえば、
どうだろうと思うところはあります。
しかし、
まずは、最初の1歩かなと思います。
以前ならだいぶ凹んだ感じがありましたが、
今日は今現在ちょっと凹んでいますが、
そうであったとしても、
ただ、前を向いて進んで行こうと思います。
============================
【最後に一言】
人は変われる!
最後までお読みいただきありがとうございます。