こんばんは、ほったです。
いつも来てくださる方、
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訪問していただきありがとうございます。
今日も世界を変えるためにブログを書かせてもらっています。
毎週金曜日は、
人生という旅において指針になる言葉を書いています。
少しでも多くの人が有意義な人生を送れることを願って。
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<今日の言葉>
『いっしょに遊んでくれるかな?そうだったら楽しいな!』
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みんながお金を欲しがります。
そしてお金にしがみつきます。
しかし、お金が一番力を持つのは「お金を手放すとき」。
欲しいものがあるとき、まずあなたがその源泉になるのです。
すると、皮肉にもお金がどんどん流れ込みます。
そしてあなたは、
欲しがっているものを既に豊かに持っています。
この事実に気づくとき、あなたは事実の豊かさを経験します。
■小学校の低学年の頃、怪獣の人形で遊ぶことが大好きでした。
近所の友達とは遊ぶことは遊ぶのですが、
そんなにも仲間に入れてもらうことはなかったように思います。
あるとしたら、
わたしの持っている何かを持っていくことでしょうか。
ある事件が起こり、父親がきれたことがありました。
私を殴るということはなかったのですが、
私が持っていたあるものは全部捨てられました。
けど、
それはそれで今ではいい思い出です。
■とはいえ、そんな経験が重なり、
一人で遊ぶことが多くなったように思います。
けれど、
自分の中には、人と戯れることを本当は望んでいる
気持ちがあることを知っています。
特に、キャンプとか大好きなんです。
しかし、今はだれも行く人はいません。
いつの頃からか一人でいることに慣れてしまいました。
それに、誰と話しをしていても、
つまらないと感じてしまう自分がいました。
昔は、よくしゃべりましたが、
今は、あまりしゃべりません。
人が嫌いなわけではなく、
人の目を通して自分が解釈されるのが嫌いなのです。
レッテル貼りされるのが嫌なのです。
その人の頭の中の俺は俺ではないということです。
■時の始まりからわたしたち人類の望みはただひとつ、
愛し愛されることです。
けれど、
これまでわたしたち人類がしてきたことは、
ひたすら制限のモラル、宗教的タブー、社会的倫理、家族の流儀、
論理的解釈をつくりあげることでした。
そのありとあらゆるルールや規則は、わたしたちに『いつ、誰が、
どこで、何を、どのようにして、愛してもいいのか』もしくは『い
つ、誰が、どこで、何を、どのようにして、愛してはいけない』か
を教えこむことで、残念なことに、『愛してはいけない』リストの
ほうが『愛してもいい』リストより長くなります。
わたしたちは、何をやっているのでしょうか?
まったく、何をやっているんでしょうか?
■人が人と戯れることができないような社会になってしまっている
ように感じています。
人に対しての思いやりは薄れ、
すぐにレッテル貼りをし、
自分たちのいいように解釈し相手を叩きのめす。
なんで、こんなふうにしてしまったのでしょうか。
この構造を変えない限り、
わたしたちは決して本当の自分、
自分らしい自分でいられることはできません。
だからこそ今こそ、立て直す時です!
再創造しましょう。新しい自分を再創造しましょう!
人類が次に持ち得る、至上のビジョンへと!
そんなことを一緒に“遊んで”くれる人がいてくれると、
楽しい人生になるように思います。
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▼今日の日記▲
ドリカムの最新CDをアルバムを借りたんですが、
とっても意気な“遊び”?がジャケットにはいっていました。
メンバーが3人??
ああいうことをされると、気持ちが心地よくなりますね。
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【最後に一言】
仲間がいる楽しさか
最後までお読みいただきありがとうございます。