土曜の夜、冷たい秋雨が降る中、四谷のライブハウスに出かけた。会社の先輩がリード・ギターをつとめるバンドのライブを見るためだ。


 少し遅れて着くと、ステージには36歳に手が届こうかという、先輩が往年のメタリカを髣髴とさせるギターの早弾きをしている。素肌にレザーのジャケットを羽織り、シャウトしながら…。


 先輩達の素性を知る私にとって、その光景は全く奇異に映るのだが、観衆はみんな縦ノリであった。意外にもかなり人気がある。

 なかんずく、女子高生らしい二人は先輩に向かって、
「キャー!!キース、最高!」とシャウトしている。
(もちろん、先輩の名前はキースであるわけがない。笑えるほど、もろ日本名である。)


 私はあやうく叫ぶところであった。
「あのギターは、キースではないですよ!結構、お堅い会社の係長なんです!しかも子供も二人居て、二世帯住宅を構える子煩悩なオヤジです!ロックとは正反対の位置にいるんですよ、みなさん!!」


 しかしいつしか、私も拳を振り上げ、一服盛られたエテ公の如く縦ノリになっていた。

そう、「Rock me,キース!」と叫びながら…

「倦怠の午後」

This is based on true story.(←マジ。)

 

 その日、俺は早くから起きだし、愛車であるBMW320I「Mr.Brownstone」でいつものバールに向かった。夏らしい突き抜けるような青空を眺め、エギゾーストノートをBGMにして吸うシガーは格別だ。やがてバールにつき、俺はベーグルとエスプレッソの簡単な朝食をすませた。

 昨日、ジョニーの店で洗車したMr.Brownstoneは石畳の裏通りに鎮座している。真夏の斜光を浴びたその姿は、また機能美は神々しいほどだ。俺は、ジェニファーとの昼食の約束を思い出し、自由が丘に向かった。

 女神祭りの影響だろうか、マリ・クレールの通りは端まで人が溢れている。それを横目に俺とジェニファーは、リザーブしてあるフランス料理屋にそそくさと向かった。

 ジェニファーはウェスト・コースト風のライトフレンチがかなり気に入ったようだ。盛んにキュイジーヌについて褒め称えた。俺は茫洋とした気分になりながら、機械的に相槌を打つだけだった。そして蚤の市をブラリと回った後、俺たちは車止めまで向かった。

 俺はMr.Brownstoneのシートにゆっくりと持たれかけ、キーを挿した。そしてダッシュボードに置いてあるシガーに手を伸ばそうとした刹那、衝撃が走った。

「コックローチだ」、ベトナム傭兵時代に鍛えられた俺の条件反射により、現在起こっている全ての事象を冷静に分析することが出来た。ダッシュボードに止まったコックローチは、チャバネのようなやわな奴ではない。本州で一番性根の入った「クロヤマトコックローチ」だ。

 俺は、暫しその漆黒で無機質な、そして一切の余分がないコックローチに見入っていた。そのうち、コックローチは動き出し、助手席の方に向かった。アラバマ育ちで勝気なジェニファーは、赤いヒールで何度もコックローチを踏みつけようとした。

 その色彩のアンバランスが何度も俺の頭にフラッシュバックする。ジェニファーに気おされたか、コックローチは姿を消したが、なおも彼女は探そうとする。我に返った俺は、ジェニファーを制した。黒で彩られた車内にいる漆黒のコックローチを見つけることは、ヘリからベトナムのジャングルに放じたニッケル硬貨を探し出すに等しい。

 そして、ジェニファー、俺、コックローチの奇妙なドライブが始まった。これほどの緊張感は、かつて俺がF1パイロットだった時、雨のスパ・フランコルシャンでポールトゥウィンを飾った時以来だ。

 朝あれほど晴れた空がうそのように鉛色に変わり、一陣の驟雨が降り始めた。路面はかなりスリッピーな状態となり、俺をナーバスにさせた。そしてその緊張感が絶頂に達した時、ようやく俺のフラットに到着した。

 俺とジェニファーは、濡れた石畳を走った。俺は「Anything can happen(何事も起こり得る)…」と呟き、後ろを振り返ると、Mr.Brownstoneは悲しいバルサン の煙に包まれていた。

こんな少年でした…


夕飯の惣菜を探しに駅前のスーパーの食品売り場を歩く。すると生鮮魚コーナーで、学校帰りの太った少年が熱心に魚を見ている。City育ちの私も幼少時、魚を見るのが大好きだった。


「ああ、この少年も私のように偉大に育って欲しい。」
 そう思い、頭のひとつでもなでてやろうと近づくと、なんと奴は試食用のマグロ切り身を掴むやいなや、口に放り込んだのである。


 しかもひとたび、彼の獰猛な食欲が理性というダムを打ち破ると、まるでニューオリンズを壊滅させたカトリーナの如く次々とマグロを襲う。その手の動きの速さ、正確性はあたかも北斗神権後継者のようだ。


「ああ、はやくも…」
 この若さでマグロの旨さを知ってしまった少年の、将来の安穏を祈り、静かに十字を切ってその場を去った。