障害について説明するため生まれてからの経歴を書いておきます


・平成4年〜平成10年

超未熟児で生まれる(当時840g)

この時点で人より全体的に遅れがあり身体が弱く心臓疾患があったため障害者手帳が貰えたが両親が気を利かせて拒否。

(※当時は医療機器が豊富になり始めた時代だったので、超未熟児の子供が大人になった時にどのように影響が出るか、お医者様でも分からなかった。)


1歳まで入院し一度退院したが心臓肥大化により再度入院し1歳半頃に退院。

3歳まで人工呼吸器を使用し自宅療養をしていたため漏斗胸(胸の真ん中部分の骨の凹み)が残る。

4歳→幼稚園、5歳→保育園、と過ごすがクレヨンがどれなのかさえ分からなかったので周りに助けてもらいながら過ごす。



・平成10年〜平成16年

小学校生活

小1の時点では周りが何をしているかが理解できてない状態で過ごす。(もちろんテストの時間でも何を書かなければいけないのか、問題の意味も何も理解できていない)

外見は、小6の時点で小1と同じ体系。

※両親が事前に学校側へ説明し通常の学校へ入学



・平成16年〜平成19年

中学校生活  自律神経失調症になる

勉強についていけないストレスにより中2の頃に自律神経失調症と内科にて診断される。(この時期から毎日が体調不良の日々となる)

両親が音楽関係の仕事をしていることもあり部活は吹奏楽部(パーカッション)へ入部。3年間卒業まで続ける

両親が事前に学校側へ説明し通常の学校へ入学



・平成19年〜平成22年

高校生活  常に体調不良に悩まされる日々

勉強についていけないストレスは続き、中学生活以上に身体に大きく現れ始める。

クリエイティブ系の学科に入っていたが勉強は相変わらずついていけず、毎回テストでは赤点をとり補修を受ける。

※本来は成績が足りなかったが両親が事前に学校側へ説明し通常の学校へ入学


アルバイトはスーパー内にあるパン屋。(レジ、清掃がメイン)、2年間卒業まで続ける



・平成22年〜平成25年

専門学生生活  同じく体調不良に悩まされる日々

クリエイティブ系の学科に入るも課題の解釈を間違え1人浮いた作品を作る。(しかしそれが逆に良い評価にも繋がった)

卒業間際に自身の状況をクラスの皆んなへ話し、やっと打ち解ける。

※学校は3年制


アルバイトは100円ショップ(レジ、品出しがメイン)、2年間卒業まで続ける。



・平成25年〜平成26年

社会人生活  変わらず体調不良に悩まされる日々

専門学生の時にインターン生として通っていた会社へアルバイトとして働く。(主に事務業務、受付、インターン生の指導)


仕事内容と量についていけず、また人より遅れがあり生まれた時点で障害者手帳が貰えたことを思い出し、精神科へ診断を受けに行く。

診断名:軽度精神発達遅滞と診断される

それと同時に精神福祉手帳(3級)を申請し、障害者枠での転職を決意する。



平成26年〜平成28年

転職後の社会人生活  体調不良は落ち着く

障害者枠ではじめて転職。 総合企業説明会を通し就職する。

業務量が極端に減ったので2年間ゆっくりと過ごす。(雇用形態は嘱託社員)

しかしこのままでは今後の仕事のスキルアップが出来ないと思い、2年間勤め転職を決意する。



平成28年〜平成31年

再転職後の社会人生活  また体調不良の日々に戻る

障害者枠で転職サイトを利用し再度転職。(雇用形態は契約社員)

自立するため転職と同時に実家近場で一人暮らしを始める。


最初の試用期間(3ヶ月)は調子が良かったものの、徐々に体調不良になっていく。

前職に比べて業務量が増え、内容も元は苦手なことだったのが恐らく原因で体調不良が身体に現れ始める。

※平成30年(11月頃)〜平成31年(3月中旬)までは、有給と傷病手当を申請し休職後に退職。そのため勤務期間は2年半ほど。



平成31年3月中旬

フリーター生活  少しずつ回復

フリーターと言えば聞こえが良いが無職のニート期間。

市内の障害就業支援センターを通して転職先を探す。


・平成31年4月

愛の手帳 4度 申請可能

障害就業支援センターの担当さんに手帳について聞き、軽度の知的なので申請できる可能性があったので検査を受け申請する。


・令和元年7月中旬

就職するための支援所に2週間だけ通うも、心の余裕がなく身体への負担も出てきてしまったので支援所へ通う事は断念。

3月中旬まで失業給付がでるので、その後は地元でアルバイトを検討中。(それまでに心身共に回復するようにする事を決意)