画像引用元:eiga.com

 

 

◼️原題または英題:The Substance

◼️監督:コラリー・ファルジャ

◼️出演:デミ・ムーア

    マーガレット・クアリー

◼️2024年 イギリス フランス 142分

 

 

 

 

バイオレンス映画「REVENGE リベンジ」などを手がけてきたフランスの女性監督コラリー・ファルジャが、「ゴースト ニューヨークの幻」などで1990年代にスター女優として活躍したデミ・ムーアを主演に迎え、若さと美しさに執着した元人気女優の姿を描いた異色のホラーエンタテインメント。

50歳の誕生日を迎えた元人気女優のエリザベスは、容姿の衰えによって仕事が減っていくことを気に病み、若さと美しさと完璧な自分が得られるという、「サブスタンス」という違法薬品に手を出すことに。

薬品を注射するやいなやエリザベスの背が破け、「スー」という若い自分が現れる。

若さと美貌に加え、これまでのエリザベスの経験を持つスーは、いわばエリザベスの上位互換とも言える存在で、たちまちスターダムを駆け上がっていく。

エリザベスとスーには、「1週間ごとに入れ替わらなければならない」という絶対的なルールがあったが、スーが次第にルールを破りはじめ……。

2024年・第77回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で脚本賞を受賞。

第75回アカデミー賞では作品賞のほか計5部門にノミネートされ、メイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞。

エリザベス役を怪演したデミ・ムーアはキャリア初となるゴールデングローブ賞の主演女優賞(ミュージカル/コメディ部門)にノミネート&受賞を果たし、アカデミー賞でも主演女優賞にノミネートされた。

共演は「哀れなるものたち」「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」などの話題作で活躍するマーガレット・クアリー。

引用元:eiga.com 

 

※※※ ネタバレ注意 ※※※

 

  

「きれいになりたい」「完璧でいたい」——その願いが、どこかで自分自身を蝕み始めるとき、人は何を失うのか?

 

2024年の話題作『サブスタンス(Substance)』は、そんな現代の〈美の強迫観念〉を、ホラーとSFの融合によって極限まで可視化した作品です。

主演のデミ・ムーアは、美しさを保つための“秘密の療法”に手を出す中年女性を演じ、その姿はまさに“美に囚われた現代人の肖像”といえるものでした。

 

 

今年度アカデミー賞の様々な賞を受賞した作品の中で、私が一番楽しみにしていた作品でした。

というのも、美容医療と精神科は密に絡んでいるからです。

 

ある意味、美容医療は”精神科の外科バージョン”と言えそうですが、心の中まで踏み込めないところが精神科と違うところです。

 

 

 

「完璧なもう一人の自分」がやってきたとき

 

 

劇中で登場する「サブスタンス」という治療法は、自分の“理想像”を物理的に実体化させる技術。

若く、魅力的で、エネルギッシュな“自分のコピー”が現れ、本来の自分と生活を入れ替えてくれる……という夢のようなプログラムです。

 

しかし精神科医の視点から見ると、これはまさに解離性同一性障害(DID)や自己愛性パーソナリティ障害(NPD)のメタファーのように映ります。

理想の自己を切り離して他者として扱う行為は、〈自我の分裂〉であり、〈現実との断絶〉です。

そして、自分を置き換えたその理想像に“居場所”を奪われていく展開は、まさに自己の喪失=アイデンティティの崩壊の恐怖を描いています。

 

 

 

「中年女性」という社会的存在への問い

 

 

本作が鋭いのは、ただ「若返りの幻想」を批判するのではなく、それを望まざるを得ない社会構造に踏み込んでいる点です。

 

中年女性が社会的に「見えなくなる」過程、老いゆく身体への恥の感覚、性別役割の崩壊といったテーマは、精神科臨床でも頻繁に登場します。

特に閉経期にさしかかる女性にとって、身体的変化は単なる生理現象にとどまらず、“女としての自分が終わる”という象徴的な体験として現れることがあります。

 

そのとき、「もう一度輝きたい」「人生を取り戻したい」という思いは自然です。

『サブスタンス』は、そんな願望が極端に肥大化した先にある〈社会的狂気〉を描いた作品とも言えるでしょう。

 

 

「欲望の物質化」が問いかける倫理と孤独

 

 

“substance(物質)”というタイトル自体が、深いアイロニーを含んでいます。

本来、自我や魂は「物質化できないもの」のはずです。

それを薬や科学技術によって“コピー”してしまうとき、人間はどこまで人間でいられるのでしょうか?

 

自分を外に投影して、それを愛し、羨望し、恐れる——そうした心の動きは、現代のSNS社会にも通じています。

「映え」や「いいね」によって評価される〈理想の自分〉と、孤独で見捨てられた〈本当の自分〉。

この映画は、そんな分裂を生きるわたしたちに、「あなたは何を自分だと思っているの?」と問いかけてくるのです。

 

 

 

美の幻想を超えて

 

 

『Substance』を観終わったとき、私の中には静かな余韻と、少しの怖さが残りました。

美しくあろうとすること、若くいたいと思うこと、それ自体は悪ではありません。

でもそれが、自分を見失うほどの“強迫”になったとき、人は簡単に「自分の椅子」を他人に明け渡してしまうのです。

 

私はこの映画を、“現代の自己愛社会が生み出したホラー”として読みました。

 

 

 

※私の著書、発達障害のいいところを書いています〜