画像引用元:eiga.com
◼️原題または英題:Somewhere
◼️監督:ソフィア・コッポラ
◼️出演:スティーブン・ドーフ
エル・ファニング
◼️2010年
98分
「ロスト・イン・トランスレーション」のソフィア・コッポラ監督が、父フランシス・フォード・コッポラとの思い出や、2児の母となった自らの経験を投影して製作。
第67回ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した。
米ロサンゼルスにあるスター御用達の有名ホテルを舞台に、派手なセレブライフをおくる映画スターのジョニー・マルコが、離婚した妻のもとで育った11歳の娘と再会し、人生を見つめ直す姿を描く。
引用元:eiga.com
フェラーリ。高級ホテル。美女。人気俳優。
ジョニーは“持っている”男だ。
だけど——空っぽだ。
それが、この映画の冒頭ですぐに伝わってくる。
目の奥が死んでいる。言葉は短く、感情は見えない。
ソフィア・コッポラ監督の『Somewhere』は、
「何も問題はないのに、何も感じない人」の物語だ。
成功しているのに、満たされていない
精神科医としてこの映画を観ると、ジョニーは「空虚型うつ」の構造を抱えているように見える。
・物質的には何も困っていない
・人間関係も崩壊していない
・それでも、心は“ここにいない”
彼は、毎晩のように誰かと過ごしているが、そこに感情のやり取りはない。
まるで、自分の存在を実感できないまま生きている人だ。
そこへ、突然やってくるのが11歳の娘・クレオ。
彼女は、無邪気なようでいて、賢くて、少し寂しげな子ども。
そして何より、父親であるジョニーのすべてを、静かに見つめている。
精神科の言葉で言えば、“感情の鏡”。
クレオという存在によって、ジョニーは初めて自分の空虚さを映し返される。
彼女と過ごすうちに、彼の表情がわずかに変わっていく。
ピザを作る手つき。プールに浮かぶ背中。
“感じること”に、ゆっくりと戻っていく。
『Somewhere』は、誰かと激しく衝突する映画ではない。
怒鳴り合いも、涙も、ドラマチックな展開もない。
でもその代わりに、静かに感情が戻ってくるプロセスが、丁寧に描かれている。
感情は、心地よいものだけではない。
愛情が戻ってくるとき、同時に痛みや後悔も一緒に押し寄せる。
それでも、感じるということは、生きているということでもある。
『Somewhere』は”再接続”の物語
この作品が描いているのは、“再接続”の物語だ。
・社会とのつながり
・感情とのつながり
・子どもとのつながり
・そして、自分自身とのつながり
ジョニーがラストで、車を降りて歩き出すシーン。
それは、何かを得た男の勝利ではなく、
もう一度“感じる”ことを選んだ男の一歩だと、私は思う。
私たちは、忙しい毎日の中で、
時々“ここにいない”感覚に陥ることがある。
でも、心はいつでも立ち返ることができる。
きっかけは、大切な誰かとの静かな時間かもしれないし、
ふとした優しい視線かもしれない。
『Somewhere』は、その“きっかけの物語”だ。
※私の著書、発達障害のいいところを書いています〜


