画像引用元:eiga.com

 

 

■原題:Salo o le 120 Giornate di Sodoma

■原作:マルキ・ド・サド「ソドム百二十日あるいは淫蕩学校」

■監督:ピエル・パオロ・パゾリーニ

■1975年 イタリア フランス 117分

 

 

 

  

 

1975年11月2日、不慮の死を遂げたピエル・パオロ・パゾリーニの遺作で、

ナチズムに加担する4人のファシストが少年少女を集めて繰り展げる一大狂宴を描く。

 

ヒトラー占領下の北イタリア、1944年。ナチズムに加担する大統領

(アルド・ヴァレッティ)、公爵(パオロ・ボナチェリ)、

殿下(ユベルト・P・クィンタバル)、猊下(ジョルジョ・カタルディ)と

名乗る4人のファシスト・グループが、傲慢な権力をカサに一大狂宴を計画した。

 〈地獄の門〉4人は、町という町、村という村で、

快楽の奴隷としての美少年・美少女狩りを開始し、それぞれ数十人ずつ集めた。

そして、その中から4人が点検し投票で少年・少女9人ずつ選び、

狂宴の舞台となる館へ運んだ。だが、その途中、

一人の少年が逃走しかけたが射殺された。

館に入る前に、公爵が17人の少年・少女にこの館を支配する掟を告げた。

彼らはすでに死んだことになっており、すべての者は犬のように従順になり、

4人を娯しませることにのみ専念しなければならない。

ただし、彼ら同士が異性と交わったり、宗教的な行為をすると処刑する、という、

非人間的なものだった。 

〈変態地獄〉彼らの“教育係”として集められた4人の語り女たちの猥談を

キッカケとして、強姦、ソドミーを繰り返した。

やがて耐えられなく脱走しようとした少女が虐殺された。 

〈糞尿地獄〉スカトロジーに快楽を感じる大統領の提案で、彼らは糞を少女に食わせ、

食事にも大量の糞を揃えて、自分たちも食い、

吐気を催す少女にも強制的に食わすのだった。 

〈血の地獄〉この狂宴も終幕に近づいた。

メイドと姦通した衛兵を殺した4人は、少量の血では飽き足りず、

全員の処刑を開始した。

衛兵たちが少年・少女の目をえぐり出し、頭髪を剥ぎ、焼き印を押し、

なぶり殺しにする。

この地獄図を窓から双眼鏡を覗きながら自慰にふける男たち。

それはナチズムの最後のあがきを象徴するかのようでもあった……。

引用元:eiga.com 

 

 

 

パゾリーニ監督、撮影直後に謎の死

 

 

本作は、性的な描写やスカトロ(糞尿愛好症)描写など倒錯した描写が多く、

見るのにかなり勇気が必要でした。

 

でも見てみて、思っていたよりは大丈夫だった?!

 

スカトロ描写のお食事シーンは、今でも思い出して吐き気がするけど、笑

 

 

しかし、意外に音楽がステキなのです〜♪

 

何なのでしょう?

この素敵な音楽と倒錯的な映像の組み合わせ、不思議な感覚〜

 

 

 

この作品自体は、社会風刺映画と言われており、

スカトロ描写は、消費文明、飽食を批判。

そして、経済格差を批判している。 

 

 

1975年11月2日、本作撮影直後に、パゾリーニ監督は轢死体となって発見された。

 

同監督と同性愛関係だった少年が犯人とされたが、

実際は、ネオ・ファシストの関係者数名らしい。

 

 

 

 

 

原作はフランス革命時の貴族、マルキ・ド・サド氏の作品

 

 

本作、パゾリーニ監督の空想かと思っていたら、

原作があるのですね〜

 

マルキ・ド・サド氏作「ソドム百二十日あるいは淫蕩学校」 

 

 

 

マルキ・ド・サド氏は18世紀の貴族、小説家。

 

サド氏の作品は、暴力的なポルノグラフィーを含む為、

刑務所と精神病院に長年入っていたらしい。

 

「サディズム」という言葉は、彼の名前に由来するという。

 

 

パゾリーニ監督以外、ルイス・ブニュエル監督、ロジェ・バディム監督らが、

彼の小説を映画化している。