こんにちは、しゅんすけです。



今日は 恐れの引力 というお話です。








人間しゅんすけさん

むかし、死ぬのが怖かったです。



きっと、痛いんだろうな… とか怖かったんです。




死ぬなら、ピンピンコロリ(ピンコロ)がいいな。




病気にもならず

その日の昼まで元気に生きて

寝てる最中に、死ねたら楽だろうに…



とか思っていました。











最近みつけた動画ですが

心肺停止前後の脳波を測定できた

という話では

恍惚状態の脳波(ガンマ波)が出ているそうです。













死について、色んな話も聞きました。
















他にも、死について考えるキッカケもありました。




どう生きるか、よりも

どう死ぬのか、が大切だ、という格言を聞いたり



遺言状を書いてみたりもしました。
(20代と30代に2回書いた。)





フランス革命の時代

死刑の決まった人達が

何を思い、どう生きて、死んで行ったのか



2700人の処刑執行人の日記で知りました。










今にして思えば

死への恐れが、死に方を限定していたな

と思うのです。




痛いんだろうな… という恐れが、痛がって死ぬという決めつけを生んでいたな、とか


思うわけです。







おかしな話です。



色んな死があるのに。

どう死ぬかなんてわかりようもないのに。



沢山の無数の可能性の中から

痛みの中で死ぬ!

という決めつけをしていたのです。




今にして思えば

そんなに「痛がって死にたいのかな…?」

そんなに「痛みに執着しているの… ?」

なんて思います(笑)




本来、無数の可能性があるのに

無数の可能性から、一つに限定してしまう…




これ、恐れの引力、だと思うのです。









恐れはあってもいいんだけど

恐れは、無数の可能性の一つに過ぎないのです。



お金がなくなるのが怖い?

孤独になるのが怖い?

死ぬのが怖い?



その恐れは、無数の可能性の一つに過ぎないのです。








理屈上は、これだけの話です。



じゃあ、現実に、恐れから解放されるにはどうすればいいのでしょう?


恐れ以外の可能性を選ぶには、どうすればいいのでしょう?



一つの方法として

人間しゅんすけさんのアプローチは

怖がること

です。




逆を言えば

解決しようとしないこと

です。





お金がなくなるのが怖いなら

「お金がなくなるのが怖いよ〜」って

怖がってください。
(働けばいい、とか、解決しようとしてはダメ)




孤独になるのが怖いなら

「孤独になるのが怖いよ〜」って

怖がってください。
(誰かに必要とされる存在になって孤独を避けようとしてもダメ)




これを

自分を愛する とか

恐れを受け入れる とか

ありのまま生きる とか

言ったりします。








怖がる自分も、受け入れてあげてください。



結構じゃないですか。



他ならぬ自分です。




怖がる、自分も愛してあげましょう。




怖がる自分を愛してあげると

怖がる自分は安心します。




安心すると、恐れの引力から解放されます。



それは

人生の可能性が広がる

楽になる

という事。




こうした

恐れの引力から解放

を続けていけば

やがて 解脱 に至ります。










今日のお話はここまでにしたいと思います。


読んでいただき、ありがとうございました。





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