こんにちは、しゅんすけです。


今日は 悟りを生きる というお話です。







人間しゅんすけさんの言う

悟りを生きる というのは 素直に生きる

という事です。




今日も。

みんな、自分の思った通りに生きてます。



ある意味、素直です。



だから、ある意味

みんな悟りを生きています。








みんな


自分の内に沸いた「想い」に従って生きている


という点においては

覚者とか、そうじゃない人とか

全く変わりないです。





違うのは


沸いた想いがどこからやってきてるのか?


自覚しているのか、していないのか。


それだけの違いとも言えます。








言い換えると

動機や目的を自覚しているのか?

とも言えます。








例えば。



ある人は

特定の人に愛されたいから

特定の人に良い事をします。



愛されたい、という動機や目的に従って

相手に良い事をする、という行為をしている。




これを自覚しているのか、いないのか。



それだけの違いです。







動機や目的の確認をするには

なぜ?

と自分に問いかけることです。







それでね。



例えば

特定の人に良い事をするのは

特定の人に愛されたいからだ



という動機や目的に気づいたら


さらに自問自答するんです。




なんで、愛されたいの?

と自問自答するんです。








これを繰り返していくと

動機や目的がわからない

という状態になります。




そう。


結局のところ「わからない」のです。







愛されたい、という想いだけじゃなくて。



日常の

〇〇したい、という想いに対して

なぜ、そうしたいの?

と自問自答していくと

動機や目的がわからない

とわかります。








悟りの境地の方は

全ての想いは「わからないところ」からやってくる

沸いた想いは「どこからともなく」やってきてる

ことを自覚しています。
(無知の知)




ただ、想った。

ただ、沸いてきた。



それだけです。



シンプルです。





人間しゅんすけさんは

想いが沸いてくる「わからないところ」を

無、空、愛、神、仏、本質

とか呼んでいます。








わからない、ということは



曖昧で混沌です。
(無限の可能性がある)

静寂で安心です。
(リラックスがある)








わからない、ことは

人によっては、怖いかも知れません。
(だいたいのエゴにとっては怖いから)



しかし、皮肉にも

その「怖い」と感じているトコロこそ

本当に求めている安心だったりします。








悟りを生きるというのは

全ての想いは無からやって来ている

と自覚して

素直に生きること

なんです。








今日のお話はここまでにしたいと思います。


読んでいただき、ありがとうございました。 





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