こんにちは、しゅんすけです。


今日は 霊は教えてくれる というお話です。


※ この話は人間しゅんすけさんの持論です。






こんなやり取りがありました。






コメント主さんのいう通り。


生霊も、悪霊も。

霊である限り観念(エネルギー)です。
(幽霊も、地縛霊も、死霊も、精霊も、聖霊も、守護霊も、〇〇霊はすべて同じエネルギー)





自分が何を信じているのか、とか
自分が現実をどうみているのか、とか

に呼応して、霊は寄ってきます。
(信念、観念、想念、概念で霊を引き寄せることができる)






例えば

自分が誰かに酷いことをしたから、恨まれているに違いない、仕返しされるのが怖い

という念があると

恨みの霊や、恐れの霊が寄ってきます。
(例え、相手が恨んでなくても、自分が引き寄せる)



「念」と「霊」もエネルギーだから、念に呼応して寄ってきます。
(エネルギーの法則、引き寄せの法則)






例えば

自分は恨まれるなんて考えたこともない
自分は何も酷いことや悪いことはしていない

ならば

恨みの霊や、恐れの霊は寄ってきません。
(例え、やってきても、引っかからず素通りしていく。霊も干渉できない)







生霊や悪霊は、あまり好ましく思う人はいないかもしれません。


けれども、人間しゅんすけさん的に言えば

生霊も悪霊も、ありがたい存在です。



彼ら(生霊、悪霊)が存在することで

自分が何を信じているのか、とか
自分が現実をどうみているのか、とか

知れるからです。




自分を知り

霊を引き寄せている恐れや不安を

晴らすことが出来れば

生霊も、悪霊も、満足して味方になります。
(魂が輝くの養分になってくれる、これが本当のお祓い)







例えば、誰かにムカついた時。

本人に直接言えば、ムカついたエネルギーは解消されていきます。



仕返しが怖い、とか思って

本人には言えない、という選択の余地のなさが

本人に隠れて、陰口、悪口する行為を作ります。
(言霊、音霊もエネルギー)



それを続けると、エネルギーは悪霊となります。

怒りの沸騰した鍋に蓋をしても、蒸気が漏れ出ていくのと同じです。



本人に直接言えない、という勇気のなさは

悪霊となり、自分と相手に悪さをします。
(他人を呪わば穴二つ)








直接、相手から怒りをぶつけられるのが怖い

という人もいますが

直接、怒りを自分にぶつけてくれる人は誠実です。




自分も臆せず

腹を割って話し合いをすれば

調和的な結果になるからです。
(悪霊も、相手と自分の養分になる)









霊は空気のように、そこら中に存在しています。



人間が、自分の都合に合わせて

悪霊、生霊、聖霊、守護霊とか

好き勝手に読んでいるだけです。



聖霊が、不調や不健康をつくることもあるし

悪霊が、好調や健康をつくることもあります。
(痛みやケガがあっても、何を学ぶかが大事)



ハサミは使い方次第で道具にも凶器にもなります。

霊も同じです。

どんな霊も、魂の養分になり得ます。




自分を知り、あらゆる霊を味方にするか。

自分を見ずに、あらゆる霊を外敵にするか。

全ては自分次第です。






魂は、いつも霊と交流しています。


本来のシンプルさに気づけるように。

自分にとって、本来は不要な念を纏っていることに気づけるように。



シンプルになるほど

本来の自分を知るほど

魂は霊を養分に輝き、生きるのは楽になります。







本来の自分は、神なる我です。
(真我も、神我も、自我もすべてを内包した我)


神の視点からみれば、霊は、己に気づくためのお助けキャラです。



自分の本音は何なのか?
自分の幸せは何なのか?

を心がけて、生きていけば

あらゆる霊が、味方になってくれます。







色んな霊の助けをかりて、全ての自分を知り尽くして至るのが悟り・覚醒です。



悟り・覚醒した後は

あらゆる霊と共に戯れる

軽やかに全身全霊を生きる

そんな境地です。







今日のお話はここまでにしたいと思います。


読んでいただきありがとうございました。





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