こんにちは、しゅんすけてす。


今日は 私のいない時間 というお話です。






電話中に、こんなメモを書きました。






今日は、このメモ解説になります。







人は24時間のうち、私のいる時間 と 私のいない時間 を過ごしています。



例えば、今日はどんな日でしたか?

と質問をすると

今日は〇〇を食べました、とか

夕方に〇〇の音楽で癒されました、とか

返事が返ってきます。



これらは 私のいる時間 になります。


なぜなら

今日は〇〇を食べました、とか

夕方に〇〇の音楽で癒されました、とか

と返事には

今日は 私は 〇〇を食べました、とか

夕方に 私は 〇〇の音楽で癒されました、とか

私が必ず存在しているからです。
(会話では省略されることが多い)






反対に 私のいない時間 も存在します。


例えば

寝ているとき。

ほっとリラックスしたとき。

などです。







このように。


人は24時間のうち、私のいる時間 と 私のいない時間 を過ごしています。


これを踏まえて、最初のメモをもう一度のせます。






パニクったり、焦ったり。

悲しんだり、喜んだり。

色んな 私のいる時間 があり、それ「だけ」を現実だと思い込みます。



まるで、川底の砂が舞ったとき。

舞った砂をみて、それが自分だと思い込むのです。
(眠っているエゴは「動き」にしか注目しない)



けれども。

やがて、砂は川底に沈んでいくように。



あらゆる 私のいる時間 には終わりがあります。

永遠に笑い続けることは不可能です。

永遠に泣き続けることは不可能です。

必ず終わりがやってきます。









全ての事には、終わりがある。

始まりがあるものには、終わりがある。



これが腑に落ちてくると「動きのなさ」を注目できてきます。


パニクっても、焦っても。

悲しんでも、喜んでも。

一喜一憂しなくなってきます。




だから。

パニクってない、焦ってない。

悲しんでない、喜んでいない。

私のいない時間 を注目できてきます。
(目覚め始めたエゴは、動きがないこと、に注目できます)



(底がみえるかな…)



砂が舞うのは 私がいる時間 です。

砂が舞っていないのは 私がいない時間 です。



私は苦しいだけの人生だったという人は、大嘘つき。

私がいる苦しい時間 だけをみています。



私は楽しいだけの人生だったという人は、大嘘つき。

私がいる楽しい時間 だけをみています。



私がいない時間 を無視しているからです。

特定の、都合いい時間だけを視ているからです。







本質は永遠なり。

永遠、普遍なるものが本質です。



それは、今回の記事で言えば

始まりがあるものには、終わりがある

という法則です。



何かが始まり、何かが終わる。

何かが終わり、何かが始まる。

永遠に繰り返すこと。

この法則は絶対です。




川底から砂が舞う → 何かが始まる

川底に砂が沈む → 何かが終わる

砂がどこまで舞っても、川底は川底のままです。

人生は、宇宙は、永遠にコレの繰り返しです。






私がいない時間 に寛ぎながら

次は、どんな私が舞うのかなと楽しんだり



私は喜んでいるんだ、とか

私は怒っているんだ、とか

あらゆる 私のいる時間 を楽しめる。



私がいない時間 も 私のいる時間 も

両方、私の一部なんだと腑に落ちれば

ほぼ悟りの境地とも言ってもいいかもしれません。
(厳密に言えば、もうワンステップある)








今日のお話はここまでにしたいと思います。


読んでいただきありがとうございました。




■イベントお知らせ

 3/12(土) 午後1時半から悟り・覚醒の瞑想会 with 諏訪瑞昇さん&はまだ美奈さん。
東京、六本木にて。  →  場所変更になりました。

☆場所☆
神明いきいきプラザ 集会室A
住所:港区浜松町1丁目6番7号

最寄駅:
JR浜松町駅 北口 徒歩4分
地下鉄大江戸線・浅草線 大門駅 A2出口 徒歩4分 B1出口 徒歩3分


詳細は こちら (Facebookイベントページ) です。


気になるイベントがある方は、お気軽にお問い合わせください。


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