「私は在る」という感覚について | ”私は在る”に至るまでの軌跡

「私は在る」という感覚について

 こんにちは。無名です。


 最近ブログの更新はしてませんでしたが、アメブロのアクセス解析を見ると、「私は在る」というキーワードで検索されている事が多く見受けられました。


 ブログのタイトルで「”私は在る”に至るまでの軌跡」など書いてますが、正直これまで、なんとなく書いていたというのが正直なところです。


 その証拠に、私の記事はほとんどが、思考から紡ぎだした言葉や、他の人の考え方を持ってきて紹介しているものが、ほとんどでした。


 また、実際のところ、「私は在る」なんということはほとんどなく、毎日、自身の今の悩みや、将来起こるであろう嫌なことや、過去に起こった嫌な出来事に悶々としていたというのが本当のところです。


 しかし、ブログの更新をやめていた半年ほどの間に、エックハルト・トールさんや、ラマナ・マハルシさん、ニサルガダッタ・マハラジさんの本などを眺めて過ごしているなかで、最近、ようやく、「私は在る」という状態に、徐々に落ち着いていられるようになりました。


 ただし、これは、肉体が覚醒してなにが起きても大丈夫だとか、なにが起きてもハッピーだということではなく、特別に神秘的な事が起きたわけではありません。


 私自身にも、一般的に言われる「悩み」というのは依然として残っています。しかし、それに捕らわれることがほとんど無くなってきた、気にしないでいられるようになってきました。


 仕事をしているので、その時に起きる嫌だなと思うことは常にありますが、以前と比べると弱くなってきたように思います。


 ただ、まだ私自身に起きている、この状態をきちんと言語化して伝えることができませんが、ネガティブな思考を持って仕事をしている人にとっては、よりよい状態になれるはずなので、徐々に言語化していってみたいと思います。