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http://mentalharmony.org/mirror20160908
私は、優しい。
こんな事を誰かに宣言でもしたら
嫌味や悪口の対象になるかもしれない。
日本というのは謙遜の文化があるから、
どんなに優しいねと褒められても
「いやいやそんな・・・」
なんて否定しなきゃいけないようなところがあったりする。
満面の笑みで「そうなんです~」なんて返したら
何言ってるのお世辞だよ?なんて
皮肉を言われるかもしれない。
でもそうなるのは至極当たり前なのだ。
優しさの定義なんて人によって違うんだから。
誰かに私は優しいから~と言おうものなら、途端に審査判定をされる。
相手が定義する❝優しさ❞から外れた途端
嘘つき人間に評価が降格する。
ただただ自分の在り方で
日々の過ごし方や生き方で
優しいと判断してもらえればいいのに
誰かに評価してもらえないと不安だから
それがモロに見え見えだから、
とんちんかんなことになるんだよ。
私は自分の中にある優しさを
常に否定してきた人間だ。
多分私は他の人に比べて優しいんだろうな
というのは薄々気づきながらも
認めてはいけない気がしてきた。
多分自分の中の一番の長所で
手入れすればさらに光るのに
優しいのは良くないような気さえしていた。
でも優しいこと、もう認めます。
私は別にボランティアは興味もないし
道でキャッチに声かけられても無視するし
困ってるから大金貸してあげようなんて全然思わないけど
優しいです。
知らない人ばかりの場所で不安そうな人には声をかけるし
探し物してたら一緒になって探すし
どんなに仕事で忙しくてもピリピリしないで柔和に接するし
誰かの仕事の間違いを感情にまかせて怒ったりしないし
人の気持ちにいつでも寄り添いたいと思う
誰かの優しさの定義では
もしかしたら優しくないのかもしれないし
偽善だの
ただ弱いだけだの
色々な批判的な評価をされるかもしれないけれど
私と同じように❝優しい❞と定義する人もいて
周りから優しいという評価を受けることが多いって
ただ単純にそういうことで
その評価を否定するって
結局自分を否定してることに他ならないんじゃないかな。
自分の中に在るものを素直に受け入れるって
自分自身を大切にすることに直結すると思う。
私はただ自分が誰かにしてもらって嬉しいことを
誰かにしているだけ。
単純にそうすることで気持ちいいし
与えたものはなんでも色んな形で返ってくるって思っているから
その場の期待した見返りなんてなにも求めてないよ。
私の周りに優しい人ばっかりなのは
出逢う人が優しい人ばっかりなのは
与えたものが巡り巡って戻ってきただけだと思ってるよ。
だから私は自分が誰かにして欲しいように
誰かにしてあげてる。
それは誰かの為にしているようで
ただ自分を大事にしているだけなんだと思う。
自分を何よりも大事にするって
そういうことなんだって、私は思う。
もちろん
自分の感覚をもって流されずに、だよ?
そうしないとただ相手に流されてるご都合の良い人形だからね。
自分にとってはよくても相手にとっては
迷惑なことだって多いから
ホスピタリティ精神は学んだ方がいいいと思うけどね。
ただただ
なんだかかわいそうだから○○してあげようとか
仕方ないか、しょがないから○○してあげようとか
かわいそうな人って
私がどうにかしてあげないといけない人って
勝手に仕立てあげる方が不憫だよ。
他人は自分の鏡なんだってよく言われてる。
自分の投影なんだって言われてる。
だから何よりも自分自身を大切にって言われるけれど
自分自身を自分で見るのが難しいから
まず鏡である相手から、だと思うんだよ。
だって自分の顏は鏡がないと見えないんだから。
周りの人を見て周りの景色をみて感じたものが
私なんだと思う。
不幸だ良いことがないって鏡をみて嘆いている人の顏は
想像がつくよ。
でも笑顔は自分でしか作れないからね。
笑わせようとしたって自分が笑う選択をしないと
笑わないからね。
まずは誰かを笑わせてみたら?
私は自分に優しくいたいから
今日も誰かに優しくいるよ。
それが自分にとって心地がいいからね。
自分を大切にする方法は一つじゃない。
