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100年。

100年カレンダー」の上では、4日後も、40年後も、

段落が少しずれているだけにすぎない。

http://plaza.harmonix.ne.jp/~k-miwa/bonnou/100nen.html


一枚の紙に百年分の予定が書き込めるカレンダー。

自分の未来はどうあがこうとも一枚のカレンダーに埋まる程度。

そう考えると「もういいや」になってしまうそうだ。


自殺志願者にとってこれほど心強い言葉はない。

歴史上でも5本の指に入るほどのお金持ちのビルゲイツも

何一ついいところなく立ち消える自分も

しょせん、カレンダー一枚にまとめられる存在でしかない。


人は虚構の中で生きている。

「前の人」が決めたルールがいつの間にか「正しさ」になる。

地球に重力があること。太陽が東から昇って西に沈むこと。

それと人間が作ったルールが同系列に語られるってのは

おこがましいことこの上ない。


人生の素晴らしさ、努力の大切さ、人の美しさ。

夢、希望、愛。

そういう言葉が、今までどれだけ人を苦しめてきたことか。

享受できる人にとって、それは賛美歌のように心地良いものだ

でも、そうでない人には呪いの歌でしかない。


たった60年前までは、力で奪い取ること

戦争で相手の持ち物を奪うことが正義だった。

シンプルな形だから非難もしやすい。

今はうだうだと上手いこと見えないようにしてるけど

「どれだけ自分に利益を与えてくれるか」

その本質は何も変わっちゃいない。


物理的な暴力は駄目、精神的なのはOK。

それって銃で殺すのは駄目だけど、薬物で殺すのはOK。

って言ってるのと何が違うのかさっぱりわからない。


そこまでわかってたって、世界とつながった生活を送る限り

毒からは逃れられない。

どこまで逃げてもお釈迦さまの掌の上。

自分の存在を消さない限りどこどこまでも。


日本人の自殺率は先進諸国では極めて高い。

西洋人は理屈でわかっていても、最期の一線はなかなか越えない。

おそらく、行動原理は全て「神がそれを望むから」という

キリスト教の考えが根っこに根付いていることが大きい。


自殺を美徳とする日本人のパーソナリティ。

自分が死ぬことで、命を投げ出すことで責任を取ったと感じる感覚。


人の欲望の集まりは、もはや個人の総和ではなく

一つの意志を持った生き物となって人を苦しめる。

ある種の「正しさ」という形で人々を拘束する。

気が付けば自分たちで作り出した生き物の奴隷。


自分で作り出した幻覚に振り回されて、

恐れておびえて苦しんで。

最期には気が狂って自分を殺す。


どこかで見たな。ああドラッグだ。


駄目、絶対。


個人的にはこの世の中とドラッグの違いがさっぱりわからない。


みち。

もし、人生に再版があるならば、私は改訂したい。
ジョン・クレア

 

人生をやりなおせたら。

誰もが一度は考えることだ。

でも、僕はこの考え方が嫌いだ。

 

人生は分かれ道の続くうっそうとした森を進むようなものだ。

ほとんど分かれ道がなかったり

明らかに「正解」がわかった道ばかりという人もいるし

誰かに「こっちに行くと良いよ」と言われて選んだ人もいる。

 

それでも最終的に、数の差異こそあれ

自分で選んできた道の先に

今の自分がいるということは変わらない。

 

自分が選ばなかった道はどうだったか

自分の切り捨てた道はどうなっていたのか

本当にそれが知りたかったのならその道を選べば良い

 

少なくとも、自分の選んだ方の道を呪うこと

それは道に対する冒涜だと思う。

 

それがわかっていても、それを受け入れることは

なんと難しいことか…

みち。

もし、人生に再版があるならば、私は改訂したい。
ジョン・クレア


人生をやりなおせたら。

誰もが一度は考えることだ。

でも、僕はこの考え方が嫌いだ。


人生は分かれ道の続くうっそうとした森を進むようなものだ。

ほとんど分かれ道がなかったり

明らかに「正解」がわかった道ばかりという人もいるし

誰かに「こっちに行くと良いよ」と言われて選んだ人もいる。


それでも最終的に、数の差異こそあれ

自分で選んできた道の先に

今の自分がいるということは変わらない。


自分が選ばなかった道はどうだったか

自分の切り捨てた道はどうなっていたのか

本当にそれが知りたかったのならその道を選べば良い


少なくとも、自分の選んだ方の道を呪うこと

それは道に対する冒涜だと思う。


それがわかっていても、それを受け入れることは

なんと難しいことか…

が・ま・ん

いつまでも続く不幸というものはない、

じっと我慢するか勇気をだして追い払うかのいずれかである。

ロマン・ローラン


人間は慣れる。

良くも悪くも適応力が極めて高い。

幸せな境遇にもすぐに慣れてしまうし

不幸な境遇にも案外すぐに適応できるものだ。


全ての人がそうではないけれど、

少なくとも幸せに慣れない人はほとんどいない。


皆、幸せが当たり前になるのだ。

自分の境遇がどれだけ恵まれているか気がつけない。

例えば、現代生活。

ネットから世界中の情報が取り出せるなんて

20年前から考えても夢のような世界だろう。


感覚を100としたら、

100の全てが幸せな人はいないし

100の全てが不幸な人もいない


過半数を超えた方に目が行きやすいのは当然だ。

でも1対99で幸せな人も自分を不幸だと思う人もいるし

逆もまたしかりだ。


「良い目」を持った人が幸せなのだと思う。


コロンブスが幸福であったのは、彼がアメリカを発見した時ではなく、

それを発見しつつあった時である。
幸福とは生活の絶え間なき永遠の探求にあるのであって、

断じて発見にあるのではない
(F.M.ドストエフスキー)


子供のころ、一番幸せな瞬間はテレビゲームを買ってもらってから

家へ着くまでの時間だった。


当時は当然意識してなかったし、ゲームをしてる時間が

最高の時間だと思っていた。

でも、今思うと家路を急ぐあの瞬間こそが最良の時だったと思う。


大人になると無邪気な期待だけではない。

例えば、自分の全財産かけてギャンブルに突っ込んだ瞬間

例えば、今後の自分の人生を左右する商談

例えば、最愛の人にプロポーズをする瞬間


そこに現れる「滞空時間」


いずれも0か100かの世界。

全てを失うか全てを得るか。


この滞空時間を楽しめるか不安でいてもたってもいられなくなるか。

そこに人生を楽しめるかどうかが大きくかかわっているような気がする。


まじめ・真面目・マジメ

学校での成績がよいからといって、

社会で認められるとは限らない
(イソップ)


人間形成の大半は10代で終わる。

いくつの歳の人を見ても

(特に男性は)中学生くらいの顔が見えるものだ。


たまにモテなかった人が

社会的な地位を利用して

人が変わったように女に走る人もいるけど

潜在的な下地は

やっぱり10代の頃に出来上がってる気がする。


10代の生活の大半は学校で過ごす

学校の大半は授業で過ごす


勘違いしちゃうんだよね。

勉強が出来れば自分は有能だって。


そこに早く気が付ける人が有能であって

いつまでも自分の中のエリートが死んでくれない人は

悲劇でしかない。

学校もそういうことちゃんと教えるようにすれば

もうちょいまともな世の中になる気がするのに。



神。

人間が神のしくじりにすぎないのか、

神が人間のしくじりにすぎないのか。
(ニーチェ)


僕は特定の宗教を信じてはいない。

クリスマスが来ればケーキ食べるし

心霊体験が起これば念仏唱えるし

寺へ行けば賽銭投げて祈る。


そんな僕にとって神とは

「漠然とした自分ではどうにもならないもの」

法則性だとか偶然とか運命という言葉にも

置き換えられる。


神の存在を仮定する。

神は万能である→万能ならば「存在する」ことも当然できる→よって神は存在する


それに対する反証。

神は万能である→こんな不完全な人という存在を作るはずがない→よって神は存在しない


神は人が作ったものと仮定する。

生きる知恵として神を作る→生きる目的、人々のまとまりを得られる→その存在はより完璧なものにしていかなければならない→神は万能である


なるほど。神が先なのか?人が先なのか?どうにもわからない。

2進数。

不幸はナイフのようなものだ。

ナイフの刃をつかむと手を切るが、

とってをつかめば役に立つ。
(メルヴィル)


不幸を自ら望む人は少ない。

中には自分を不幸のどん底に追い込むことでしか

自我を保てないという人もいるらしいが、

それは例外だし、そうなることが幸せなのだから

やはり厳密には不幸を望むというということではない。


パソコンは全て2進数、0と1で出来ている。

これだけ様々なことができる夢のような機器であるのにだ。


人も変わらない。全ては2進数。

「やる」か「やらない」の2進数。

不幸を迎えた時でも

「絶望」か「糧」の2進数でしかない。


もちろん「糧」の先の2進数が

さらなる悲劇へとつながってるかもしれない。

幸福へとつながってるかもしれない。

人は万能でないから残念ながらわからない。

先にさらなる悲劇しかないと確実にわかるなら

間違いなく「0」を選ぶのだけど。


究極の「0」である死を選ぶのが幸せか

「1」を選び続けるのが幸せか

中途半端な存在である人には

そこに行ってみなければならない。

そこに悲劇があると思う。

過去。

私も青春のことを懐かしみ、

若い人を羨むことがあるが、しかし、
もう一度若くなって世の中を渡ってこなければならぬと思うと、

何よりも先に煩わしい思いがする。
(正宗白鳥)


若者というだけで憎らしいという人がいる。

僕も若者という区分けに入るのだけど、

かと言って青春真っ盛りの10代というわけでもない。

エリクソンが言うところのモラトリアム期間だ。


自分になかった幸せを謳歌する中高生は確かになんとなく羨ましい。

電車でイチャつく制服カップルや白球を追う球児、

生徒からも教師からも尊敬を集める生徒会長。


ただ、仮に今の精神状態のままあの頃に戻れたところで

そんな幸せを叶えることはやはり困難な気がする。

歳食って身に着けたのは処世術であって

「主人公」になる術ではないのだから。


無闇に可能性があるから毒に転化する。

希望がなければ人は何も追わなくて良いのだ。

夢があることは幸せだけど、

夢を置きっぱなしてきたこともまた幸せだと思えるのだ。

ゆめ。~dream~

我々はときおり、

悪夢から目覚めた瞬間に自らを祝福することがある。
我々はおそらく、

死んだその瞬間をみずから祝福することであろう。
(N・ホーソン)


怖い夢は覚えているものだ。

幼稚園児の時に見たものでさえ未だに覚えているものがある。


最近は「恐怖」の概念自体が別物になってきてしまったから

記憶に残るほどの悪夢はなくなったけれど。


祖父母の家だった。

悪いことをして外に出された。

周りには何故かキョンシーの群れ。

当時はキョンシーが大ブームの時代だった。

僕は怖くて途中でテレビを見るのを辞めてしまうくらい怖かった。

ごめんなさい、ごめんなさい。

泣き叫んで戸を叩いても鍵は開かない。

ゆっくりゆっくりと近づくキョンシー。

叩く叩く戸を叩く。

大きく口を開けるキョンシー。

噛まれた瞬間に汗びっしょりで目が覚める。

震えると同時に安堵した。


それでも夢は良い。どれだけ長い夢でもせいぜい数分で終わりだ。

人生は短いようで実は途方もなく永い。

悪夢は続く。

ただ、それは夢から覚めた時には最高の安堵を得ることができるということだ。