こころにも栄養を。 -2ページ目

life like a role.

人生はただ歩き回る影法師、哀れな役者だ。
出場の時だけ舞台の上で、見栄をきったりわめいたり、

そしてあとは消えてなくなる。
(シェークスピア)


人生の体感速度は20歳までで半分。

残りの人生で半分という説がある。

つまり、ハタチは人生の4分の1ではなく

半生ということだ。


実際、20歳を過ぎると1年が確実に早く感じる。

密度の問題かと思いきや、刺激的で忙しい日々を送る人も

怠惰で空虚な時を送る人も同じ言葉を口にする。


民法の上では20歳以上の人間に「行為能力」を与えている。

ハタチ過ぎて初めて行動に責任の持てるくらいの能力が身に付く

ということなのだろう。婚姻を済ました人には成年擬制という例外はあるけれど。


自分を自覚できる時には人生の半分が終わっている。

残りの半分で見栄張ったり絶望したり妬んだり比べたり夢見たり。

どこどこまでも悲しいものだね。


逆を言えばそんな状態を人生の半分で終わらせてくれるのは

幸せなのかもしれないけれど。

BET

運命がカードを混ぜ、

われわれが勝負する。
(ショーペンハウエル)


人生はよくギャンブルに例えられる。

麻雀なんかはその最たる例だ。


牌パイからとんでもなく恵まれてる人。

圧倒的な引きの強さを持つ人。

牌パイも引きもからっきしな人。

流れを自分で作りだせる人。


人生において

運だけで勝つ人もいれば

実力で勝ちあがる人もいる。

生まれ(牌パイ)だけで勝つ人もいる。


酷く不公平なのが世の中だ。

でも人は生きている限り戦いの連続だ。

人生にオーラスはない。

あるとしたら自殺を覚悟した上での勝負くらいだ。


勝負を楽しめる精神を目指そう。

ピンチの時にこそ不敵に笑う者ほど勝負強いものだ。

ナルシー・コンプレックス。

自分を憐れむという贅沢がなければ、

人生なんていうものには耐えられない場合が

かなりあると私は思う。
(ギッシング)


悲劇のヒロインを気取る人がいる。

自分は不幸だああなんて自分は不幸なんだ

自分の不幸をステイタスのように語る人がいる


そういうのを傍からみているとひどくみっともないと思う。

じゃあ自分がそれをやってないのかというと

それは絶対ない

「俺昨日寝てなくてさー」

これだって不幸自慢の一種だ


不幸ナルシズム。

不幸な自分に酔っているのだ。

ナルシストは幸せだ。

自分に自信が持てるから。

ナルシストは不幸だ。

なんらかの理屈で自分を高い位置に置かないと

自我が壊れてしまうから。


そういうところを全部含めて

幸せなことだと思う。



死ぬ日。

ながい間、

いろいろ親切にして頂いたことを嬉しく思います。
僕はいま誰とも、さりげなく別れてゆきたいのです。

妻と死に別れてから後の僕の作品は、
その殆どすべてが、それぞれ遺書だったような気がします。
(原 民喜)


僕はパソコンに溜め込む。

くだらないエロ動画からテキストサイトから

可愛い猫の画像から自分のカラオケの音声から

自分の馬鹿騒ぎする動画から日記から


その全ては、遺書だと思ってる。

人が死ぬ時、その人が過去のものになってしまうのは

きっとそこで、その人からの「ニュース」がなくなってしまうからだ。


僕が死んでからも、

僕が残したものが把握できないくらい膨大に残った時

それはおそらく「不老不死」と同義語になれる気がする


自分の葬式用のスピーチ用の音声を作り終える日が来るまで

もう少し生きようと思う。

ゆめ。

人の夢と書いて

儚い

何か物悲しいわね。

(アグリアス)


夢自体の壊れやすさ、儚さを著した名文。


夢なんて叶うまでが一番幸せだったり、

そもそも叶う可能性が極めて低いから夢だったりする


そんなことわかってるハズなのに

そこに「希望」があれば

人はそれを追う。

そういう風に出来ている。


なんとも因果なものだとしかいいようがないよねえ。


re-強い言葉を

状況?何が状況だ。

俺が状況をつくるのだ。
(ナポレオン)


豪腕の人をもう一人。

1人殺せば殺人者だけど

何万何十万と殺せば英雄。

それを地で行った男ナポレオン。


フランスの国民性であるところの

「個人主義」「英雄思想」あたりも

確実にこの人から来ているのだろう。


強いってのは悪いってことだ。

悪いってのは強いってことだ。


まあそれだけでは寂しすぎるけど

ある種、本質を突いてる部分は

あるのかなあと思う。

強い言葉を。

行為の動機が重要であって結果は関係ない。

精神生活が旺盛なら結果を考慮しないし、

貧困と不幸は単に事柄の結果であるにすぎない

(ベートーヴェン)


言葉使いが難しいけど、要は結果なんか関係なくって、

物事の本質はただその過程の中に。

進むこと、行動することの中に実は存在するんだよってお話かな。


ベートーベンは人生の途中で耳が聞こえなくなるという、

音楽家としては本当に死刑宣告に等しい状況でも、

その運命を豪腕で乗り切ったとんでもなくパワフルなおっさんだ。


「それに比べれば自分なんて恵まれてる」

なんてありきたりな慰めは僕は大嫌いだけど、

ちょっとベートーベンと比較しちゃうと、

うじうじした自分があまりにみじめになんない?

無理矢理な自己弁護や自己欺瞞やろうにも

100対0くらいの大差だとさすがにやれないやね。

せめて3点くらい返せば、

自分ひいきしまくりでなんとか同点ジャッジくらいに持ち込めるからさ。

とにかく心臓動かしな!

FACK!やってられっか!

何がなんでも生かせばOK!っておかしくね?

というわけで死ぬための生き方。生きるための死に方について考えていきましょう。


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