還暦を機に、人生を振り返っています。

今回は、サラリーマン時代。

 

成功に必要な要素をあげてみてください。

 

才能、努力、人間関係、時代のニーズ……

いろいろ思い浮かぶと思います。

 

60年生きてきて、
業種も職種も異なる3つの会社に務め、

起業して20年以上やってきて、

成功に最も影響を与えるのは

「運」だと確信するに至りました。

 

今回は、そんなお話。

 

 

 

  成果を上げているのに認められない苦しさ

 

大学が教育学部生物学専修だったため

早稲田大学卒とは思えない

非上場の会社に入社することとなりました。

 

 

33歳のとき、新商品を開発し、

全社員の数%しか合格しなかった昇格試験
をパスしているにも関わらず

昇格しませんでした。

 

実際には、試験に合格していないのに

昇進している人もたくさんいました。

 

専門学校卒で、誰でもできる検査の
ルーチンワークをしている

同期の女の子が昇格していることを知りました。

 

あまりの理不尽さに課長を問い詰めると

「仕方ないだろ、

今年うちの課には昇格の割当がないんだから」

という返事でした。

 

もう、この会社では何をやっても無駄だ。

私は転職を決意しました。

34歳でした。

 

そして、暗黒の30代を送ることになるのです

 

 

転職したのは、人材派遣会社の営業職です。

いやーブラックでしたぁ。

 

ほとんどの社員が
数ヶ月で辞めていきました。

 

札幌に支店を出すので、
その支店長候補としての入社でしたので、

札幌に行くまでは…

と我慢しました。

 

ところが、札幌支店に配属されると、

支店長はおろか係長でもなく、

肩書は副主任。

そんな肩書、あったんだ(^_^;)

もちろん、役職手当なんてつきません。

 

新規顧客獲得数では、
一番だったのに。

 

次から次へと入ってくる
新人のOJTもこなして、
僕がOJTをした新人は定着して
いい仕事をしていたのに。

 

ただでさえ、研究職から営業への転職です。

身体はクタクタなのに、
神経がストレスで緊張し続けているので、

毎日気を失うほど酒を飲まないと眠れませんでした。

 

これ以上この会社にいたら、
心身を壊してしまう。

 

学生時代から憧れた北海道に
念願かなって住めたのに、
心身ボロボロとなり仕事を求めて
東京に出戻ることになりました。
 

 

次に入社したのが、

遺伝子関連の研究試薬を販売する

アメリカの会社の日本支社。

こちらも営業です。

 

いい会社でした。
でも、上司がきつかった。
 
東日本の営業責任者になりました。
肩書はチーフです。
係長より下です。
役職手当もないし、
値引きの権限も与えられませんでした。
 
担当していた販売店の
売上増加では社内一だったのに、
東日本全体のノルマを達成できなかった
のはお前のせいだと
責任を負わされました。
 
つまり、権限や役職に見合った報酬は
与えられていないのに、
責任だけ負わされたのです。
 

 

このように、
研究職時代は新製品を開発し、

営業では一番の売上だったのに
39歳で係長にさえなれませんでした。

 

大学の文系学部卒の同級生たちは
誰もが知る大企業で
多くの人が課長になっていました。

 

惨めでした。

 

実績をあげていないのなら、

頑張ればいいです。

あきらめもつきます。

 

でも、目で見える、
数字で表される成果

が出ているにも関わらず

評価されない。

 

会社を変えれば、
評価されるだろうと

転職しても同じ。

 

もう、どうしようもなかったです。

 

ストレスで、円形脱毛症ができ、

慢性的な下痢と胃痛……

 

自殺衝動にかられ、

藁をもすがる思いで催眠療法を受けました。

 

この辺の話は、こちらの記事に詳しく書いていまので、

今回は割愛します。

脱サラした日の想い

 

 

 

 

  これが俺の生きる道!

 

催眠療法では、

「今の苦しみの原因となっている出来事に戻ります」
と退行催眠をしました。

 

そこで出てきたのが、
中学2年で成績表を母親に見せたときのこと。

 

音楽を除いてオール5の成績表を見て
母が言った言葉。

 

「いくら学校の成績が良くても
あんたは人当たりが悪いから
社会に出たら弟のほうが出世するわよ」

 

事実かどうかはわかりません。

人は、実際にあったとおりに
記憶しているわけではありませんから。

 

 

その出来事を観て僕は思ったのです。

 

「俺の能力が低いわけではない。

俺は、数字で現れる確かな成果を出している。

母親の人を評価する能力が低いんだ」

 

そう考えると、
今まで3つの会社でも同じことが起きていた
ことに気がついたのです。

 

 

「俺は目で見える新商品、
数字で現れる売上
を上げてきた。

 

それが評価されなかったのは、
俺の能力が低かったからではない。

 

上司の人を正当に評価する能力
が低かったのだ。

 

ならば、一人二人の上司に自分の将来を
決められてしまう
サラリーマンという生き方をやめよう。

 

たくさんの人に自分の仕事を観てもらえれば、
俺は必ず高い評価を受けられるはずだ。

 

脱サラして個人で仕事をしよう!」

 

そう思いました。

2002年1月4日のことでした。

 

 

そして翌日、犬の散歩をしていると、

次のような想いが天から降ってきたのです。

 

 

「これが俺の人生の使命だ。

昨日までの自分のように

頑張っているのに報われていない人が
自分の本当の素晴らしさに気づき
それを活かして人生を堂々と生きられる
ようにサポートする。

それが、俺の生きる道だ!」

 

 

そして、正月休み明けに
退職願を出しました。

 

頭では、39歳で未経験の心理カウンセラー
になんてなって食っていけるわけない。

と考えているのです。

 

ですが、何か大きな力に後押しされるように
脱サラして、心理カウンセラーの道を
進み始めました。

 

 

心理カウンセラーになってからは、

お陰様で、多くの方々に
高く評価していただいています。

 

途中、癌で休んだり、
今回も男性更年期障害で
講座のお休みをいただいても

仕事を続けることができています。

 

ありがとうございます。

 

 

 

 

  仕事の成功に影響を与える要素

 

高校では、いくら努力しても
才能のある奴にはかなわない。

ことを実感しました。

 

大学では、才能に恵まれ努力しても
それが評価される環境がなければ
報われないことを痛感しました。

 

そして、2回の転職と
心理カウンセラーとしての脱サラ起業では、

報われる環境に身をおけるかどうかは運だ。

と身にしみました。

 

 

成功に影響を与える要素を
影響が大きい順に並べると

 

>環境>才能>努力

 

だと自信を持って言えます。

運を大きく赤字で書いたのは、

「運」が8割以上を占めている
と思うからです。

 

 

次回は「運」について、

・運とはなにか?

・運を上げるためにはどうしたらいいか?

について書いてみます。

 

多くの人が語っている

エセスピリチュアルとは
別次元のものです。

 

科学的な根拠を示しながら、

運について解き明かしていきます。

 

お楽しみに。

 

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