還暦を迎え60年の人生の軌跡を辿ることにしました。

 

まずは、小学校2年の7月まで住んでいた二子玉川へ。

 

今や高級住宅地となった「にこたま」。

僕が住んでいた頃とは、すっかり変わっています。

通った小学校と幼稚園を目印に記憶を辿りました。

 

 

 

 

  
惣一くんは普通学級ではやっていけないです

 

私は極端に内向的な子どもでした。

幼稚園では、遊びの輪に加わらず、
いつも一人でした。

母は幼稚園教諭に言われたそうです。

「惣一くんは、小学校で普通の子たちと
一緒のクラスでは、やっていけないでしょう」 



母は、私に社交性をつけさせようと、
絵画教室に通わせてくれました。


私の絵が特にひどかった
というのも大きな理由でした。

私の描く絵は「三角屋根の家」と「太陽」
だけと決まっていました。
その絵の中で、私はいつも家の中にいて、
外へは出てきませんでした。

三角屋根の家が私の心を表わしていて、
私はその中に閉じこもっていたわけで、
典型的な自閉的な子どもの絵といえるでしょう。

 

 

 

 

  この人との出会いが人生を決めた

 

初めて、その絵画教室に行った日のことは、
50年以上も昔のことなのに、
はっきりと覚えています。

黒ぶち眼鏡の優しそうな男の先生が
私の担任になってくれました。


「何でもいいから好きな絵を描いてごらん」

と言われて、私はいつものように、
家と太陽を描きました。

その絵を見て、先生は
私を窓際に連れていきました。


「よく見てごらん。
お日様は、こんなふうに赤一色だけかな?
それと、こんなふうに丸い形をしているかい?」



私は目を細めて、太陽を見ました。

そして、私はオレンジや黄色や、青や緑や……
24色のクレヨンすべてを使い、
一点から放射状に線を描いてゆきました。
画用紙いっぱいに。



私の絵は、何を描いてあるのか、
わからないものになってしまいました。

でも先生は誉めてくれました。



そして、言いました。
「惣一くんは、どこにいるのかな?」

私は、三角屋根の家から出て、
お日様の光を浴びている
自分の絵を描きました。



★幼稚園教諭は
「また同じ絵描いてるの?
他に何か描けないの?」

と、私を矯正しようとしていました。


★一方、絵画教室の先生は、
私がすでに持っているものを
引き出した
のです。

つまり、自分の殻に閉じこもっていた私の
たったひとつの外界との接点であった
太陽に意識を向けさせた。

この先生は、1時間もかからないで、
閉じこもっていた私の心を、
外の世界に連れ出してくれたのです。

しかも、外の世界がどんなに素晴しいか
ということも、同時に教えてくれた。

そのことで、私は殻から抜け出して、
太陽のあたる外の世界へと
踏み出すことができたのです。


この日を境に、私の人生は変わりました。

小学校では、友達も大勢できました。

図画工作の成績は、いつも5で、
コンクールにもたびたび出品されました。

いつも学級委員をやるような
積極的な子になりました。

 


そして、この時に目覚めた観察力は、
その後の私の人生で大きな財産になっています。

 

 

 

  エリクソンの言葉

 

私の敬愛する天才心理療法家
ミルトン・エリクソンの言葉

 その人が持っていないものを
 与えることが心理療法ではない。

 その人の歪んでいる部分を
 矯正することでもない。

 その人が持っているにも関わらず、
 持っていないと思っているものを、
 どうやってその人自身が使える
 ようにしていくのか。

 そこを援助するのが心理療法です。




私はセラピーをおこなう時、
クライアントさんの症状を消そうとはしません。

その人が、すでに持っているもの、
すでに持っている能力、成功体験、
未来への希望
大切な人への愛

に気づいてもらうように誘導します。



それは、クライアントさんが無意識に
発した言葉や仕草の中に隠されています。

私が描いたお日様の絵のように。

私の仕事は、それを見つけ、
あなたがそれを使えるようにすることです。


二子玉で、空を見上げて
しみじみと思いました。

私が今の職業に就くことは、
この時すでに決まっていたのだと。 

 

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