昨日、妻の妊婦健診に付き添ってきた。


2歳の次男と待合室で待っていると、

妻が困ったような顔をして診察室から出てきた。


「赤ちゃん、育ってないって・・・」



看護師さんに呼ばれて、私も診察室の中に入った。


医師は、2枚の写真を私に見せてくれた。

2枚とも妻の子宮のエコー写真だ。



1枚は一か月前のもの。

黒い中に、米粒のような白い点の胎児が写っている。

それはまるで真っ暗な宇宙に一つの星が輝いているかのようだ。


2枚目は、先程写したもの。

黒い闇が広がっているだけで、胎児の姿は消えていた。



「お気の毒ですが、流産です」



医師の言葉の意味が分からなかった。


いや、認めたくなかった。



医師から、近いうちに出血があるだろうこと、

月曜日に手術をすること、

を伝えられた。


妻も私も動揺して、診察費を払うのも忘れて、帰宅した。




家に着くと、妻は、少し休みたいと、ベッドの中に入った。


私は次男のお守をすることにした。

いつもママが目に見える場所にいないと、泣いてしまう次男が、この時は大人しく私と犬とお祖母ちゃんと遊ぶことができた。

きっと、2歳の幼児でも、親の悲しみがわかるのだろう。



次男をお祖母ちゃんに任せて、私は妻の傍にいることにした。


ベッドの中の妻は、目を真っ赤にしていた。


私は、妻のベッドの中に入った。


妻の身体は温かかった。

なぜか、私は妻の身体が悲しみで冷たくなっているのではないかと予想していた。

だが、妻の身体は温かく生命力に溢れていた。


この生命力溢れる肉体の中で、ひとつの生命が消えたことを信じるなんてことは難しかった。


私は、妻の下腹に手を当てた。

そして、その中に生命を感じられるのではないかと、掌に意識を集中した。


私は、掌で、いるはずのない胎児の命を探そうとした。


妻の脈動が、胎児の鼓動に感じられた。

妻の腸の動きが、胎児の動きのように感じられた。


まだ出血していないということは、まだ胎児はこの中にいるということだ。

もしかすると再び着床して、育つのではないか。


頭では、そんなことはありえないことは、理解できていた。

しかし、心が納得してくれなかった。



私は妻を優しく抱きしめた。


妻を慰める言葉は見つからなかった。


ただ抱きしめることしかできなかった。




今朝、淡い期待を胸に、祈るような気持ちで、別の病院へ検査にいった。


検査の結果は、当然のことだが昨日と同じだった。


こうなることは、分かっていた。


でも、妻と私には、自分たちの心を納得させるために、私たちの子どもの死を受け容れるために、この無駄な検査が必要だったのだと思う。



5歳の長男、2歳の次男と一緒に、赤ちゃんにお別れをすることにした。


まだ、出血していないので、たとえ命はすでになくとも、胎児の肉体と魂は、まだ妻の子宮内に留まっているはずだ。



「キミに会いたかった。キミのことを抱きしめたかった。キミとずっと一緒にいたかった」

と私。


「死んじゃって、かわいそうだね」

と長男。


言葉がまだほとんどしゃべれない次男も

「バイバイ」

と、死というものがなんとなく分かっているようだ。


そして

「ありがとう。ごめんね」

と妻。



受精後4カ月にも満たない胎児も天国に行けるのだろうか。


いや、行ける。


天国は、私たち家族の心の中にあるのだから。