建築学科の落ちこぼれにとっての間取り
LDK,トイレ、浴室、洗面所、個室、玄関、それらを廊下で繋げます、必要に応じてウォークインクローゼット等、収納スペースを付与します。間取りがどのような要素で構成されているか、羅列すると、いろいろはしょって、こんな感じだろう。「間取りを作る時は、パズルを組むような感覚で間取りを作っています」そんな事をどこかの建築学生が語っていた。間取りに関する考え方は、人によってそれぞれだ。話は変わるけど、私が就活をしている時、あるハウスメーカーの入社試験を受験した際の事を書く。1次試験、グループワーク。設けられた時間は1時間。テーマは「アウトドア派の3人家族が住まう1軒家、出来れば車庫を付与して間取りを作製しなさい(敷地は無制限)」4グループ各4人ずつ、建築学科所属は、全体を通して何故か私だけ。楽しんだ。ガレージとリビングをガラス張りで繋げて、さらに庭とガラスで繋げます。庭に面したリビングの対面にキッチンを設けて、その裏に浴室を設けます。その上部に個室を設けて、吹き抜けでそれらの出入り口をつなぎます。色々破綻していたけど、面白そうな家だった。けど、グループの人達の意見を私はほとんど取り入れてなかった気がする。そんな入社試験の講評会。私のグループが最初に発表する事になった。まあプレゼンは上手くいった。さっき描いた課題文の説明書きに、いくつかの要素を足したもの。間取りは破綻していたけど、課題のテーマにかなり沿っていたし、何より魅力的な空間が、私には見えていた。けど、グループの面々は浮かない顔をしていた。その時は私は理由が分からなかった。他の班の人達の発表は、私達の案とは完全にベクトルが違っていた。間取りは組んでいたけれど、間取りには描いていない、キッチンの機能性や、その裏に洗面所や浴室を設け、水回りを固める事、テレビの位置の理由や、玄関の位置の理由、収納がそこにある理由等その他、細やかな建物の使い方をプレゼンしていた。自分の班はどちらかと言うと、空間はこんな風になっていて、こんな魅力がありますよ!的なプレゼンだった。自分の班が大局的な空間コンセプトをプレゼンしているのに対し、周囲の班は実用案をプレゼンしていた。悪く言えば、、ほぼ唯一建築学科の私が所属する班の案が子供の工作じみていて、周囲の班の案がすごくまともに見えなくもなかった。というのも、他の班の人達が何故か勝ち誇った顔でプレゼンしてたからだ。何かもう、自分達の班の前の奴らのプレゼンが、自分達が細かく考えた案を引き立てている、そんな表情だった。ちなみにその試験は合格した。つまり、何が言いたいかと言うと、建物の何に魅力を感じるかという事が、根本的に違ったのである、その時は。建築学科の課題とかで求められる提案は、その空間の魅力やら、思想やら、空間を構築する為に用いた手法やらであって、その機能性を主題とする事は‥余りない。‥いや機能性が手法によって決められるとかそういうのではなくて、もっと細やかな部分。もちろん、教授陣はもっとちゃんと設計しろと、ぷんすかする。まあ、私が適当に設計していたからそう思うのかもしれないのだけれど、しかしながら、普通建物はあくまで道具、その使い方、使われ方‥利便性を求めるものであるという、その要素の数こそが魅力、という事実が、その時はあった。単にそれがアイデアとして受け入れらるとも云えた。というか、普通そうなんだ。でも、何だろう。間取りを見た時、機能性だけで語れない魅力って、機能性だけでは語り切れない、個人の趣味趣向が間取りに影響を及ぼす事によって生まれる魅力的な間取りって、あるでしょ?何だろう、間取りの魅力が、機能性という言葉でひとくくりにされているのが、個人的にきにくわないだけなのかもしれない。個人的には、間取りの魅力が合理性、機能性ではなく、魅力が間取りになっているみたいな、そういう語られ方をしてほしいと思う。説明では無く、魅力が形になっているという語られ方をしてほしいと思う。というかそうやって設計されて欲しい。いや普通そうやって設計されているのだろうけど。何か違う気がするんです。