ウチは、一応数学塾だ。

 

 名前がそうだからだ。

 

 元々そうだからだ。

 

 しかし、今はそんな影など無いと言ってもいいくらいだ。

 

 それくらい、オレは数学を追いかけるのに億劫だ。

 

 それは、数学を追いかけないほど、合格率が上がるからだ。

 

 

 

 オレが教えるのは、生物・地学(理系の2次)以外の全科目だ。

 

 なので、結果的に何が良かったとか、何では悪かったのかの総合的判断が、経験的に出来る立場だ。

 

 そして、年々ますます、数学を追いかけていては落ちるという現実を見続けている。

 

 逆に、数学は相対化できるような総合的なタイプは、いろいろ曲折はあっても、結局うまくいってるのだ。

 

 これは、毎年毎年のことで、イヤでも本当に毎年痛感させられるのだ。

 

 

 

 数学が本当に好きならば、解答になど興味はない。

 

 そして、定理の証明とか、定義の在り方とかに興味がいく。

 

 しかし、とっても残念なことに、これらは、成績優秀系な人にはほとんど見られない光景だ。

 

 例えば、最大の例は、三角関数の加法定理の証明だ。

 

 これの証明には見向きもせず、即問題とかは、数学的にあり得ないことだが、受験生の超大多数派はそれなのだ。

 

 これで、まともに数学の問題という話になどなるはずもない。

 

 今まで、オレが作ってきたこの加法定理の証明プリントに興味があったのは、真の理系(=いわゆる「世の中」で役に立つ理系)ではゼロだ!

 

 むしろ、成績の悪い、しかし非常に要領の悪い工学系の理系とか、あるいは金額を本気で考えようとする商学系の文系がこの証明に興味を抱く。

 

 だから、とてもまともに数学をみんなに広めようとなどできやしない。

 

 幾何とか代数とかは、さらに虚しいものだ。

 

 (円周角の定理の逆の証明とか、メネラウスの定理の逆の証明とかを想起せよ。)

 

 (あるいは、複素数の各種証明を見れば非常にわかることだ。)

 

 

 

 で、最近思うのは、どうも、こういうのは、語学系の脳と結びつきがあるという直感だ。

 

 だから、もう、鉄壁のプリントばっかりばっかり作ってるのだ。

 

 これが発動すれば、それだけでもう合格確率上がるからだ。

 

 そして、そのうえ、証明とかの価値がわかるようになる気がする。

 

 で、うーん、いやもう、やっと旧版のセクション40まで完成してもうめっちゃらっきー。

 

 しかも、40番台でも完成してるのが3つくらいあって、もう終わり寸前だー。

 

 そして、改訂版もセクション20まで完成で、もう両方終わるメドついたしー。

 

 やりきる、これが非常に大事だ。

 

 たとえ、世間という名の最大で最高の、そして最悪な誹謗中傷があってもだ。

 

 世間ほど最悪なものはないと、今回のことで非常にわかった。

 

 当たり前で行動し、政府の指示で生きる人は、旧人(=クロマニョン)。

 

 クロマニョンは、警戒して、意見を聞いて、そして新人の菌に参っておしまいだ。

 

 

 

       *      *      *

 

 

 

 いやー、旧人(=ネアンデルタール)とするつもりだったのだが。

 

 しかし、意外にクロマニョン(=旧人)になってるのかもしれない。

 

 だから変更はしない。