私は重度のうつ病・境界性人格障害・パニック障害を10年前に克服した心理カウンセラーの平野里奈です。



私がなぜ精神疾患になったのか

どんな両親に育てられ

どんな環境で生きてきたのか

私が実際に体験したありのままの過去を記録しています。

自分自身の過去を改めて振り返り

カウンセラーとして考察していきたいと思っています。



〜前回の振り返り〜

継母と父の間に産まれた妹。

継母から言われた「やっと本当の家族になれた」の言葉が私の心に深く壁をつくった。



[小5で自殺未遂]


継母との間に産まれた妹。


継母と父は仕事で朝から晩まで家にはおらず、子育ては祖父母に任せっきりの2人だった。


それから数年して異母姉妹がもう1人産まれて、私は遂に実質4姉妹の長女となった。


姉妹は仲良く過ごしていた。


お母さんが違うことなんて気にならないほどに産まれてきた赤ちゃんは可愛くて


お世話をする事も楽しく過ごしていた。


しかし祖父母や継母から言われる言葉や接し方が異母姉妹と私たちに大きな差があることに気づき始めた。



「成長すればするほどあの人に似てきて嫌になる」



祖母に言われた言葉。


母に似ている私の容姿を見て嫌味を言われていた。


なぜ祖母が母をそんな風に言うのか原因もわからなかった。

ただ、嫌われているという事実だけが明らかだった


お菓子やご飯には大きな差があった。


異母姉妹には、おもちゃもお菓子もたくさん買ってあげる祖父母


食べ盛りな私はいつもお腹を空かせていた


冷蔵庫や棚を漁って食べ物を食べれば

すぐに隠されてしまう



私はいらない子


必要とされていない


愛されていない


私の心は悲しみと寂しさで溢れていた


その心を抱えて私は反抗期へと突入した。


ある日、祖母に嫌味を言われて強く言い返した私は祖父に強く叱られた。


私は腹が立って台所から包丁を持って


自分の腕に突きつけて


「死んでやる!そんなに嫌なら死んでやるよ!」と泣き叫んだ。


祖父母はそれ以上なにも言わず黙っていた。


その時から私は死にたいという気持ちが芽生え始めていた。


5年生の夏休み


私は自分の部屋のクローゼットで

人生はじめての自殺未遂をした。


私は3年生の頃から携帯を持っていて

4年生の頃にはパケ放題が使えていたので

インターネットにかなり入り浸っていたので

簡単に情報を得ることができた。


父の押し入れにしまってあったネクタイを結んで長くし、クローゼットにかけて首にまわした。


想像以上に苦しい


やり方はあまりに簡単であっけない。


人はこんなに簡単に死ねるのか


こんなに簡単に私は死んでしまって良いのだろうか


こんなにあっけなく終わって良いのだろうか


母は悲しむのでは無いか


友達はどう感じるだろう


首の痛みと恐怖


それから異常なほどに冷静に頭の中で思考が次々に浮かんだ


感情的に動いた私の体はいつしか悲しみも怒りも悔しさも失っていた


まるで時が止まったようにピタりとクローゼットに呆然と1人しゃがみ込んでいた。


翌日小学校に行くと


朝、全校集会が急遽開かれた。


先生方はみんな黒い服装で体育館の端に一列になっていた。


2学年下の男の子が昨日学校のベランダから飛び降りて自殺をして死んでしまった、とのことだった。


あまりの衝撃で詳しくは覚えていないが


それから数日以内に学校の前に全校生徒が並び霊柩車を見送ったのを覚えている。


みんな泣いていた。


先生も親達も子ども達もたくさんの人が並び、泣いていた。


霊柩車を見送りながら私は思った。


あの時、もし私が死んでいたら同じようにみんなが悲しんでくれただろうか?


もし私だったら誰も悲しまなかったかもしれない。


親は?先生は?友達は?


死ぬことに意味はあるのだろうか。


残された人はなにを思うのだろう。


そんな事を考えた小5の夏だった。


それでは今日はここまで。

次回は、「父は破産。私は栄養失調」について書きたいと思います。



最後まで読んで下さりありがとうございました。




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