私は重度の鬱病・境界性人格障害・パニック障害を10年前に克服した心理カウンセラーの平野里奈です。『服薬なしで精神疾患を乗り越える[認知行動療法]』私は重度のうつ病・境界性人格障害・パニック障害を10年前に克服した心理カウンセラーの平野里奈です。認知行動療法を用いたカウンセリングを行い、精神疾患に苦しむ方…リンクameblo.jp



私がなぜ精神疾患になったのか

どんな両親に育てられ

どんな環境で生きてきたのか

私が実際に体験したありのままの過去を記録しています。

自分自身の過去を改めて振り返り

カウンセラーとして考察していきたいと思っています。



[幼少期の記憶]


1990年3月 

宮城県に和服問屋の父とまだ高校生だった母との間に私は生まれた。

母が高校生の頃、父に出会い、母が父を好きになり交際がスタート。

母はすぐに私を見籠り、高校を中退した。

父は家庭や子育てに興味関心の低い人で、家にはほぼ帰らなかった。

父との幼少期の思い出や記憶は全くありません。

母は若くて世間知らずでしたが、私を育て始めると、世間体をとても気にするようになり、私にとってはとても厳しい母でした。

母は1人で母になろうと必死に子育てをした。


「人様に迷惑をかけてはいけません」


「お利口にしなさい」


「言う事を聞きなさい」


と、いつも口癖のように言われていました。


母は今でも「幼少期の里奈ちゃんは本当に良い子だった。わがまま1つ言わない、本当に可愛くて大人しくてお利口さんだったの」と言います。


私が3歳の頃、妹が産まれて私はお姉ちゃんになりました。

妹はとてもお転婆で元気で活発な子でした。

私とはまるで正反対の強くて明るくて逞しい子でした。


私は妹が産まれてからますます良い子でいられるように頑張りました。


「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」


「お姉ちゃんなんだから面倒見なさい」


「お姉ちゃんなんだからお利口にしなさい」


といつも言われて母からの期待に応えたくて

一生懸命な日々を過ごしていました。


私が6歳で妹が3歳の時のエピソードで

宅配で届いたお米を玄関に置いておいたら

妹は引き立ってリビングまで持ってきたそうです。

私が動かしてもびくともしない5キロのお米でした。

喧嘩でも妹が強かったです。

妹は虫が苦手で、私は平気。

凸凹姉妹で私たちはよく喧嘩もしましたが、いつも仲良く楽しく遊んでいました。


母と妹と3人で過ごした記憶がほとんどで、父との幼少期の記憶はありません。

大人になってから母に聞いた話によると、父はほとんど家に帰ってこなかったそうです。


父が帰ってこなかった理由は後ほどわかります。




では、今日はここまで。


次回は小学生になった辺りの記憶を記したいと思います。


ここまで読んで下さりありがとうございました。



上級心理カウンセラー平野りな
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