マルコによる福音書2章1~12節

イエスは言われた。「中風の人に、『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に言われた。「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで歩きなさい。」その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出ていった。
(9~12節)

 ガリラヤ中をめぐり、神の言葉を語り、病気の人を癒し、重い皮膚病を患っている人を癒されたイエスが、再びカファルナウムに戻ってこられます。カファルナウムでは、イエスはシモン・ペトロとアンデレの家に下宿されていたようです。そこにはペトロの妻やその母親が一緒に暮らしていて、イエスはペトロの姑が熱を出して寝込んでいたのを癒されたこともあります。その家におられることが人々の間に知れわたり、大勢の人が集まってきます。イエスの語られる神の言葉を聞くためです。イエスは集まってきた人たちに、みことばを語り教えておられます。今こそ神のもとへと立ち帰り、イエスの語る言葉を信じなさい、神の国が近づいていますというものです。
そこへ、4人の男の人たちが中風の人を運んできます。重い脳卒中の後遺症で、体の自由がききません。自力でイエスのところへ行くことはおろか、起きて日常生活を送るのにも支障をきたしています。それで4人がかりで、寝床ごと運んできたのです。ところが、イエスの目の前につれていこうにも、人でごった返しているため戸口に近づくことさえできません。そこで4人は考えます。イエスがおられるだろうあたりの屋根をはがして、穴を開けて体の動かない友人を寝床ごと吊り下ろそうというのです。瓦葺きやコンクリート製の日本の家と違い、木を組んで小枝や葉っぱなどを敷き、粘土で固めただけの簡単なつくりであった屋根をはがすことは、それほどたいへんな作業ではありませんが、下に集まっていた人たちは何事が起こったのかと思ったことでしょう。その様子をご覧になったイエスは中風の人に言われます。「子よ、あなたの罪は赦される。」
本人と4人の友人たちと、どちらが先に言い出したのかはわかりません。ただ、5人でとにかくイエスのもとに行ってみよう、とにかくイエスにこの人を癒してもらおうという思いが伝わってきます。神の癒しのわざが、イエスを通して示されることを期待しての行動であることはイエスにはわかっていました。それでイエスは罪の赦しを宣言されます。素直にイエスに近づいていった4人の行動と、それに身を委ねた患者本人の単純素朴さをイエスは受け入れ、神の子として迎えて「子よ」と呼びかけ、彼らは神の国を理屈ではなく身をもって経験するのです。
ところが、その場に同じように集まっていた人たちにも、イエスから離れる者がいます。律法学者たちは、口には出さずともイエスのこの言葉を神に対する冒涜だと考えてしまいます。神に素直に近づくことよりも、自分たちで神を設定して自分たちこそが神とその救いに最も近いものだとして基準を定め、そこからはずれる者を非難して罪人だ、神を冒涜する者だと決めつけることしか考えなかったのです。イエスはそのような考えもすぐにご自分の霊の力で見抜かれます。「なぜあなたがたは心の中でそのようなことを考えるのか。」おそらくそのように考えること自体が、神とは真逆の方向を向いて神から最も遠ざかっているということに、律法学者たちは気づくことはないでしょう。イエスに直接指摘されても、イエスをぶっ殺してやりたいと思うことはあっても気がついて悔い改めるようなことはないでしょう。中風の人に、「罪は赦された」と受け入れる言葉をかけるのと、「起きて、床を担いで歩け」と言うのとどちらがたやすいかと問われます。前者を軽はずみに口にすることはできないし、後者は言うだけなら簡単です。しかし、それを体が麻痺して思うようにならないもどかしさを抱えている中風の人に言うということがどのような意味をもつのかを考えると、とても不用心にかけてよい言葉でもありません。「しかし、人の子イエスが、地上で罪を赦す権威をもっていることを知らせる」ためにと、イエスはあえて後者の言葉をかけられます。「起きなさい。寝床を担いで家に帰りなさい。」すると、その人は起きて立ち上がり、そのまま寝床を担いで出ていきました。罪の赦しと、それに伴う癒しのわざが実現した瞬間でした。イエスによる罪の赦しは、決して言葉だけのものではないことが示されたのです。それゆえみていた人たちは、皆神を賛美したのです。
 神の国は、ただ物理的な救い、目に見える「ご利益」を求めるのではなく、神から離れていた自らのあり方を見つめ、罪の赦しを求めて単純素朴な信頼をもってイエスのもとに近づいていくときに実現するものであり、それこそがまことの信仰であるということが示されたのです。