キリストはすべての人のために死んで下さいました。それは、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きるためです。 (2コリ 5:13-17)

花粉症で更年期。
ある意味「受難」な今日この頃です。

最近ずっと引っかかってる言葉のひとつに「神対応」というものがあって、
あれらが「神」と言われなければならないほど
人々は荒んでるんだろうかと思わざるを得ません。

ところでイエスは十字架につけられるとき、
こう祈られてるんです。
「父よ、彼らをお赦しください。自分たちが何をしているのかわかってないのです。」老若男女を問わず病を癒し、神様や神の国とはほんとうはこういうものだと教えて歩き、
人々から差別されてた人に徹底的に寄り添い、

その報いが「思想犯」として十字架刑の宣告。
「わが神、わが神、どうしてわたしを見捨てられるのか」とさえ叫んでしまうような、とことん神にも捨てられたような状況の中でなお、
恨み言のひとつも言わず、神から逸れてる人たちの赦しを祈っていた。
これこそが「神対応」なんじゃないかと思うわけです。

でも不当に弾圧されてる人たちにイエスの神対応を要求するのは筋が違うとも思う。。