幼少期の私を言葉に表すなら、


「嫉妬」

「不安」

「絶望」

「怒り」

「悲しみ」

「辛い」

「狭い」





 

こんな言葉が思い浮かぶ。




今までの人生を振り返っても

一番の暗黒時代がそのころだと思う。



 

あまり子供のころの記憶がないんだけど、

最近になってすこしずつ思い出してきた。



泣いていた理由はとにかく

なぜか怒られる毎日だった。





怒られるだけならまだしも、

妹は可愛がられたり褒められたり。



親は私よりも妹の方が好きなんだ。

そのわかりやすい行動で

ひどく自己肯定感も下がって

きっとほとんどのブロックの原体験を

してるんだろうなと思う。


 

そしてその悲しみは嫉妬になり

妹へいじわるをして泣かせて

また親に怒られる。

負のループ。。。

 

お母さん、私にも構ってよ!

 


愛が欲しいと求めた。

何度も求めた。





でも何度トライしても

期待していた愛情はもらえなかった。

もらえるどころかなぜかまた怒られる。


 

そして次第に愛を求めて

もらえることができないと知った

小さい女の子は、

求めることをあきらめた。


だってまた怒られるかもしれないから。

それで傷つくならもう求めない。

愛をちょうだいって言わないことを決めた。

親をあきらめた瞬間だ。

 

それからは私を向いて寝てくれない親に、

いつも妹の方を向いて寝る親に、

悲しいという感情も湧かなくなった。

 


妹をかわいがっていて

私は押入に閉じ込められていることに

何も感じなくなった。


 

悲しみにフタをすることで

自分が壊れてしまうことから守った。

 

それが発端がわからないけど、

私は基本受け身の人間になった。



愛を求めない。

相手が愛をくれるときにもらう。

人との距離感も相手が

感じているであろう距離感を保つ。

自分から壁を越えない。

 

自己肯定感が低すぎたころは

愛をもらっても受け取ることすら

できていなかった。


褒められても、

この人ウソ言う人だ、、、と

なぜかしらけてしまったり、

そんなことないんです!と

証明するかのように一生懸命弁解したり。

 

最近はやっと受け取ることが

できてきた気がするかな?

どうだろう。

人によるかもしれない。

でもまだムズムズする。




愛を自分から求めるのはとても怖いこと。

そろそろこの思い込みをはずしてもいいかなあ?

 

ハネリ