外に出ると予想もしないようないい体験に出会うことがある。
今日電車に乗っていたの。
そしたら私の近くに眼鏡をした小さな男の子が乗ってきたの。
小学生2、3年生くらいだと思う。頭には学校のマークがついた帽子をかぶっていたの。
私はドアのそばにいたのだけどね、その男の子が来たからそっと譲ったの。
そしたらその男の子のお母さんも電車に乗っていたみたいでね、頭を下げて「ありがとうございます」って言ってくれたの。
私はにっこり微笑んだ。
そしたらね、その男の子は電車のドアから1番近い場所に行こうとしていたの。
そこには私よりも年配の男性がいたの、
だけどね、その男性もその男の子に自分が移動して場所を譲ったの、嬉しそうな表情だったと思う。
そしたらまたそのお母さんが頭を下げてありがとうございますって言ったの、心があったまる優しい体験に触れられて、なんだかいい一日だったの。
その男の子は電車のドアのそばに行って景色を眺めていたの、私も小さい頃よくおばあちゃんに電車が見えるところまで連れて行ってもらったなぁ。幼稚園生のころかなぁ。
なんだかその男の子と自分を重ねて見えた。
いわゆる親近感というものだろうか、
これは思考や言語レベルの説明を超えている、
心で分かるものだ。
その男の子はね、くしゃみをしていたの、
お母さんは「大丈夫?」と寄り添ってあげていたの。
その男の子はもう自立した態度でお母さんの寄り添いを遠慮していたの。他にもその男の子、自分から自分の頭で考えたであろうことをお母さんに伝えていたの。
私は思ったの。
この男の子はすごい人間になるって。
お母さん大丈夫だよ、この男の子はすごいよ、
だって小学生3年生くらいでもう自立してるんだよ、
自分の頭で考えて話すことができるんだよ、すごいよ。
お母さん、もう安心してきっと大丈夫だよ。
天才のお子さんですよ。天才の私が言うのですからきっとそうなりますよ。おほほ。笑
私も幼稚園、小学生はほとんど周りの子たちとなかなか気が合わなくて、寂しい思いをして過ごすことが多かったけど、歳を重ねるにつれて今では自分のやりたいこと、好きなことができることが多くなってきて、今は楽しく暮らしているよ。
男の子にドアのそばを譲った男性が電車降りる時に、その男の子のお母さんはまた「ありがとうございました」と頭を下げていたの。男性は「いいよいいよ!」って。ちゃんと最後までお礼を忘れない人。ステキだなぁ。
次は私が電車を降りる前に、その男の子とお母さんが降りようとした。お母さんは私に「ありがとうございました」と数回頭を下げられて、私は心がまたあったかくなった。そんな2人を私はにっこり口元で微笑んで見送った。人間なんだなぁ。私もお母さんも男の子も、みーんな。優しさやあったかい温もりを心に感じたら、嬉しくなる。にーんげんなんだなー。
こんな体験になるなんてね。奇跡だ。この時間帯でこの列車のこの号目でこの位置にいたからこそ、そして私だけでなく相手もいたからこそ、他の方の配置もあってこそ体験できたことだ。人生はすごい。人知を超えている。
電車の中とはもう二度と会えないかもしれない初めましての人たち同士が近くに座り合い、寄り添い合い、目的の駅に着けば降りていく。
毎回車内の乗客は異なる、同じ光景はもう二度とない。
電車に乗って降りるまでは、ある種の舞台や映画のようだ。
もっというと今日という1日を再現しようとすればある程度の再現はできるかもしれないが、1分1秒確実に正確に何もかもすべて完全に再現はできるとは思えない。
今見ているもの、今日見たもの、さっきした体験、さっき食べたもの、今日食べた物、今日の犬の散歩、昨日今日の体験は、もう二度と体験できないことなのかもしれない、明日が楽しみだ。どんな明日がやってくるのだろう。だからこそ人生は尊い。ありがとう。時々それについて考えさせられては、涙が出る。
今日はこんなにも心が温かい人たちと出会えて、体験ができて幸せな1日だった。ありがとう。
この男の子とそのお母さんにまたいつかどこかで会えたら、嬉しいな。この男の子の成長が気になるなぁ。
優しさ、心温まることは、どれだけ文明や生活が散歩したり変わろうとも、変わりうることのない永遠なる心身の癒しだと思った。
引き寄せ、縁、仮想現実、いろいろあると思いますが、
人との温かい関わり合いってこんなにもいいもんなんだなぁ〜と気づかせてくれた1日でした。
人間っていいですね。人生ってまぁいいもんですね。
その男の子にもそのお母さんにも私にも皆様にも、
素敵な幸せな豊かな実りある日々、人生を毎日生命続く限り送れますように。おーるらぶ。おーるうぇるしー。
ありがとうございました。2024/04/22 22:52