2022年 1月9日 学会発表
戸田城聖先生のご指導に≪我々人間は持って生まれた性格は
治らないが、生き様は、信心によって変えられる≫との
お言葉を入信3年目に眼にした時、大変なショックを感じた
記憶があります。「己の性格は変えられない」そのご指導は
私の入信動機を否定されたからです。と申しますのは、
私は小学校と中学校が同じ敷地内の村立小中学校で
同級生とは、勉学と共にイジメも9年間続けられます、
私がそのいじめられっ子でした。
池田先生は、出来沸く全てに意味があると教えられますが
9年間のいじめに何の意味があるのかは解り兼ねます。
臆病な性格が出来上がっただけの気がします。
強くなりたい 勇気が欲しい 先生も臆病者は幸せになれない、
勝つた者が幸福なんだと断言されて、勝って勝ってかちまくれ
との教えのニュアンスを感じます。ですから、信心初めのころは
{勝つという言葉}に執着する学会の教えには、
違和感さえ感じていました。勝ち負けには相手があることなの
で他人に勝つことを教えられてると考えていたからです。
最近では≪勝つとは≫他人様に勝つのではなく
己の気弱さや、臆病な心に打ち勝て、との、意味合いであると、
捉えるようになりましたが、一朝一夕に自分に勝つ心は、
叶えられるものではありません。
さて、私の仕事は、ダンスホールを営んでいます。
ダンスとの出会いは奈良県大和郡山から42歳で京都の
車メーカーに単身赴任して、趣味から始めて28年間の
ダンス暦になります。最初はお遊び程度でしたが、
趣味が高じて53歳で3人の息子達が高校を卒業と同時に
会社を早期退職し、朝から晩までダンス三昧を始めました。
雇用保険金と退職金は全て嫁に渡し、小使いは一切取らない
条件で、無一文で軽自動車の、ワンボックスカーを走らせて
京都でダンサーを目指して27年前に奈良から旅立ちました。
生活費はダンスホールでお客様からお声をかけられたら
3曲踊って500円のチップを頂けますが、私みたいな
ダンス業界では新入りで、ダンスも美味くないオジンダンサー
には、中々お客が付かず、アパートを借りる金もない、
京都までのガソリン代も稼げず、車での車上生活を
余儀なくされて、カチットコンロに鍋一つのインスタント食事、
トイレは公園ですまし、夏場は公園で行水、寝泊りは車の中、
寝る場所は広沢の池で二年間、暮らしていました。ある時は、
夜中に二つの懐中電灯がフロントガラスから車内を物色され
目を覚ますと、ドアを叩かれ警察の職務質問は
何度もありました。
紆余曲折の7年後60歳で、ザ。ダンスワールド*美ゅらさん、
との看板をあげることができました。開店当時に来られた
数少ないお客様が学会さんでして新聞購読を勧められて、
宗教には無関心でしたが、大切な客様だし無料ならと
読ませて頂き3年後に入信させて頂きました。
私の母のようなお方で、三年間の新聞代だけでも大変
なのに仏壇から数珠など一切を揃えて頂き、
大変お世話になり感謝申し上げます。ありがとうございました
ダンスを始めた頃は、ダンスブームも手伝い、先生と一組
だけで200名のお客様の前で毎年恒例の発表会がありました、
私の踊る番となり華壇に立つ、場内のライトが消されて
暗転になる、そこに一条のスポットライトが、私と先生だけを
浮かび上がらせると、持ち前の気弱さから心臓がバクバク
し始め、頭が真っ白になり、ただ先生にすがるだけで
踊れない、先生の足を踏んだり、立ち止まったり、
恥ずかしい思いを10年以上、続けていました。
ですから私は強い性格なりたい、勇気が欲しいと、
お題目を上げて6年目ですが、臆病な心が強い性格に
変わって初めて生き方も変わる、性格ありきの生き様だと
思っていましたから、性格は変えられ無いのに、生き様が
変わるはずがないと悶々とした日々をおくっていました。
しかし、昨年12月20日、美ゅらさん11周年ホテルパ~ティ
では、どうしたものか?
お客様10人と踊らさせて頂きましたが一切上がらず頭も
白くならず平常心で踊り終えたとき、これぞ
『性格は変わらないのに生き様が変わるって』そういう
事なのか、心はそのままでも、学会活動の継続に
よって何らかの心の変化、宿命転換の始まりは
これなのか、確かな答えはどうなんやと、もやもやした
気分です。
自分の理想とする生き方には小さな前進ですけど、私的には
大きな一歩だと笑顔満面でパーティー会場のホテルを後に
しました。
先生は、先日の新聞で『妙法の祈りとは誓願です。
最も強靭な精神の力です。祈りが心に満ち満ちているところ、
いかなる臆病も,諦めも、弱音も入り込む隙などありません』
とのお言葉を私の生涯の原点、ご指導と受け止めまして、
畳の目一目づつ宿命転換できる自分を目指して強情なる
題目から頑張らさせて頂きます。ありがとうございました。