1994年アチキが53歳になりて、桜の花弁が散り旅立ちの季節、我が家の三男の小鹿が高校を卒業したのを待っていましたと、父親と夫からの退職願を子供と妻に差し出しました。三匹の小鹿には、高校卒業後の進路は各自で判断して、「生きてゆけ」、大学進学ならJAPANから奨学金という、サラリーローンの保証人になるから借金して東京大学にしなさいと、暗黙の了解を押し付けていた積りでしたので、小鹿達は、希望校を選択して奈良公園から巣立って行きました。が、鬼嫁は夫からの退職願を頑として受理致しませんし{私はこれからどうしたらいいの}と詰め寄ります。おれは【貴女なりの人生を生きたらいいさ】と言い残して、俺を待ってる古き都、京の街に向かって一頭のバンビを背中に背負い、奈良公園を後にしましたさ。前書きが長くなったが、そんな経緯がありーのして、京都にてダンスシューズを履き、ダンス業界へ踏み出しあれから17年,{瓦版}への出会いは明日に>>>>続きマスターです。ご愛読者の皆様には、二度とない今日を少し微笑んで活きて下さい。ブログ開けりて、産休、チャウ、サンキューでした。!(^^)!