私の生業
久し振りのブログです!(・_・;
まあ、随分と間が空いてしまったものですね、、、
さて、今日のブログは自分のビジネスライフについて書く機会があったので、ちょっとご紹介したいと思います^_^
私の生業 継続は力なり
吉見の農家の次男だった祖父が行田で商売を始め、足袋の卸売りを始め、創業となったのが昭和29年でした。
それが行田のアパレルメーカーとして現在に至る、メンズオータニの始まりです。
それから数えて62年繊維業を生業として、商売を継続しているのです。
祖父は足袋、父はスラックス、私はカジュアルウエアと取り扱う商品を変えていきながら、行田の地で商売を継続しています。
私が大学を卒業して就職したのは、岐阜県の大手メンズカジュアルメーカーでした。
将来は家業を継ぐつもりでしたので、アパレルメーカーが軒を連ねる岐阜で仕事のキャリアを積みたかったからです。
就職した会社で4年間お世話になりましたが、そこで経験したことはその後の私のビジネスライフに大きな影響を与えてくれたと思っております。
1年目の商品管理業務から始まり、2年目には仕事が終わってから1年間夜間のデザインスクールで勉強、3年目からは営業として東京・名古屋・岡山・広島の量販店を廻り、4年目には商人の街大阪の繊維問屋も担当しました。
その経験は家業を継いだ際に、非常に役に立ちました。
また、上司や先輩からは韓国、中国、インドネシアなどとの貿易に関する話やその国のことを聞き、私も将来は海外へ行ってたくさんの国の人と仕事をしたいと強く思ったことが、現在の私の仕事に繋がっているのだと思います。
さて、そんな岐阜での4年を終えて、現在の会社に入ったのは㍻5年でした。
私が戻った時のメンズオータニは、 岐阜、大阪、広島のメーカーから商品を仕入れて関東圏の量販店やディスカウントストアへ商品を卸売り、さらに2店舗ある自社の小売舗店で販売をしていました。
ディスカウントストアや量販店に薄利で大量に卸売りした商品などを、自社の店舗でリーズナブルな価格で直売したので、店は良く売れ利益率も高く、その当時は小売業が弊社の利益の柱だった様に思います。
私はメンズオータニに入社してからは、前の会社でアパレルメーカーとして営業した経験を生かし、関東圏でのお客様の開拓、また全く販路のなかった大阪、名古屋など新しいエリアにも営業をしていきました。
今では弊社の一番のお客様であるドンキホーテ様も、まだお店が府中店 1店舗だけだった時に開拓したお客様です。
そんな新規開拓の営業に精を出すなかで、仕入れた商品だけでは、どんどん商売が難しくなって行くなと感じていた事から、自社で企画生産をするアパレルメーカーになる決意をしました。
韓国から直輸入をスタートさせ、貿易する国も中国、タイ、ベトナム、バングラディシュ、ミャンマー、カンボジア、など持ち前の好奇心と行動力で広げて行きました。
もちろん、たくさんの失敗を経験しましたが、めげずに現在も輸入を継続して行っています。
そんな甲斐あって、各国で仕事をする中、本当に素晴らしいパートナーに巡り会い、現在も良い関係を築いております。
ただ昨今、ユニクロや欧米のグローバルなSPA企業の台頭、また大手小売店などは自社生産販売を増やしていて、アパレルメーカーの存在感が薄れているのが現状です。
そして、なんと言ってもネット販売の台頭は見逃してはならない新たな販売ツールです。
このままでは、今後の見通しが非常に難しいと実感しています。
その為、新たなビジネスモデルに着手しています。
まずは、売れなくなり閉店した実店舗の代わり、ネット販売を強化し、もうひとつの柱にしていくことです。
楽天、アマゾン、ヤフーなどのネットモールに出店しています。
徐々にではありますが、売り上げも上向いているところです。
また新しい事業として、行田やその近郊の縫製技術を生かして、日本の民族服である着物や帯のビンテージものを生地として使ったブランドを立ち上げたことです。
輸入で得た経験とその国々で得たビジネスパートナーと共に、日本で生産したアパレルを輸出していく事業です。
この事業を継続しビジネスとして成り立たせる為には、気力、体力、お金がとても必要です。
しかしながら、このビジネスは輸入の時とは違った国々にビジネスチャンスがあるので、とても楽しくやっています。
アメリカ、フランス、ドバイ、などビジネスで行く事になったのも、この事業を始めたからです。
そんな新しい事業を、必ず成功させ継続していけるように日々奮闘しているところです。
結びに、、、
私のビジネスライフは、輸入と輸出を両輪にして、世界各国の人と良い関係を作り商売していくこと。
継続は力なり! なんでも一生懸命!
この言葉が繊維産業を生業として商売を続けていく今の私の座右の銘です。
読んでいただきありがとうございました 

これからも様々な事にチャレンジしていこうと思っています

青年部最後の全国岡山大会!
16年に渡り活動した、行田商工会議所青年部!
ついに、今年度3月をもって卒業となります!
在籍中は良い先輩、同級生、後輩に恵まれ、2年間の会長や埼玉県連の理事、委員長も経験させて頂き、自分を成長させてくれた団体でした!
そして最後の青年部全国大会、吉備の国おかやま大会に会員16名で行って参りました

先ずはみんなで記念撮影!
岡山は大学を卒業して、就職した会社の営業先があり良く来ていたんだよなぁ

懐かしい~(≧∇≦)
さて、観光は行った事のなかった倉敷に行って来ました!
とっても良い街ですね~!
大原美術館へ!
芸術作品の数々が!
目の保養になったね(≧∇≦)
なかなかの美術館で、ボリュームがありここだけで、街の散策をする時間が足りなくたってしまったのが大変残念でした!。
倉敷には…
是非また、今度ゆっくり来たいですね。
そしていざ、全国大会会場へ!
式典の後は基調講演はホリエモン!
最前列で聞いてましたよ~

事業を成功している人は、新しい事に対して一歩を踏み出せる人だと!
そして失敗を忘れられる資質とその失敗を検証し、繰り返さない防止策を作ることが重要との内容です。
あとはフログラミグを修得するのは、損にならないからやってみて下さいって言ってた。
最後にホリエモンおすすめの本の紹介!
嫌われる勇気!
早速、購入して見よう

記念講演も終わり、青年部卒業生の名前が大スクリーンに映し出された!
俺の名前もあるね~

そして、大会を盛り上げるメインゲストは中村あゆみさんでした!
そう…
翼の折れたエンジェルだぁ~

こちらも最前列に陣取り、大合唱!
懐かしい(≧∇≦)
ん、、、
この衣装はKimono casualみたいだな!笑
右手を振り上げると、あゆみさんが手を差し伸べがっちり握手しちゃったぞ(≧∇≦)

いやぁ~、いい思い出になった(≧∇≦)

夜は行田青年部で行田ナイト!
16年間の思い出を語らせて貰いました。
同級生3人で卒業ソングメロディーを歌い気分は最高潮に

本当にいい仲間と時間を共に出来て感無量でした!
最終日は電車で四国の香川県丸亀へ!
そうです!
うどんタクシーで讃岐のうどんツアー(≧∇≦)
二軒目は大根おろしを自分で擦り擦りする、大根おろしうどん!
最後は一番人気の山の中にある、熱々のうどんだよ!
3杯それぞの違ったうどんを食べて、お腹いっぱい!
本当に楽しかった!
良い全国大会の思い出が、出来ました!
メンバーの皆様ありがとう

行田商工会議所青年部バンザイ~

うきしろ小町の衣装!
昨年の10月に行田商工会議所青年部主催事業の『うきしろ小町コンテスト』が開催されました!
そのうきしろ小町の衣装を、Kimono casualが作成依頼を受けていました

うきしろ小町さんの御披露目の場は、忍城時代まつり

忍城時代まつりの中で、商工会議所繊維部会が主催した『第一回足袋二ストコンテスト』でプレゼンターをうきしろ小町さんに務めていただいたのです。
私も自作の着物作務衣で、登場(⌒-⌒; )
オレはどうでもいいね~( ̄▽ ̄)
さあ…
うきしろ小町のお二人です!
さすがに、かわいいね~(^_^)
第一回、ベスト足袋二ストのグランプリの方とうきしろ小町さんのツーショット

ベスト足袋二ストの方の着物も決まってますね~!
さて、その後…
青年部より正式に、うきしろ小町の衣装発注があり…
小町さんたちとユーズド着物のお店へGO~!
小町はたくさんある着物の中から、楽しそうに選んでいました。
そして、素材となるユーズド着物が決定!
衣装製作に

ついに…
完成しました。

美しい!

生地選びから自分で行った、世界にひとつだけのうきしろ小町、着物ドレスです。
シルク100%のハンドメイドドレス。
うきしろ小町さんたちも喜んでくれるでしょう!
この衣装で行田の街のPR活動、頑張って欲しいですね~(^_^)
そのうきしろ小町さんたちの活動は、後日、またブログアップします!
これからも地域の活動の一翼を担って、Kimono casualは頑張ります
