非効率な行政指導
四月から各店頭での商品価格の表示が消費税を含む総額表示に変更された。この変更に伴う企業の負担コストは膨大なものとなり、経営成績が低迷している企業には大打撃となった。今、果たして変更が必要か否かの議論は差し控えるが、またもや行政指導が現場に大混乱をもたらしたというのが正直な実感である。
筆者の属する食品業界では、この十年で包材の表示の変更を十数回強要されている。数例を挙げる。
①PL法での注意書表示②賞味期限表示③リサイクル法での識別表示④量目の総量表示⑤アレルギー表示⑥原産地表示⑦価格総額表示…。その都度、包材の改版を行い、旧表示の包材は不良在庫化し、産廃としての処分を余儀なくされた。もちろん、これらの変更指導の一部は、生活者に知らされるべき情報と理解できるから、法律施行そのものを否定するつもりはないが、年中行事ではなく、まとめてできないものかとは思う。
何故こんな非効率で現場に大混乱をもたらすことが頻繁に行われるのであろうか。
急激な経済の国際化に伴い世界水準に合わせるということもあろうが、最大要因は、これらの変更指導の所轄官庁がすべて異なるところにあると思う。
例示したもので挙げるならば、①③④は旧通産省、⑤は旧厚生省、⑥は農水省、⑦は旧大蔵省となる。各省庁の意思決定の評価基準は国益ではなく、ましてや生活者益では絶対になく、省益と自省の影響力保持であるといわれるが、当たらずとも遠からずとの感はぬぐえない。
大不況の現在、企業は旧来式の伝統的な価値観やシステムを心ならずも否定することでサバイバルしてきた。旧来式の価値観や既得権益にしがみついているのは競争の経験のない官庁だけである。
その未熟な官庁が、競争にさらされて逞しくなった企業を指導するのだから非効率は必然であろう。
ただ、少なくとも官庁が非高率な行政指導を乱発して景気回復の邪魔をすることだけは避けてもらいたいと切に願う。
経営者の矜持
自衛隊の先遣隊がイラクへ派遣された。六十年代、イデオロギー的にはかなり右とされた、岸、佐藤総理でも、自衛隊は、他国の侵略行為に対して国を守ることのみが唯一無二の使命であり、いかにアメリカの圧力があろうとも、他国の戦争には絶対に介入しないという基本線を堅持していた。決して揺るがしてはならないリーダーの矜持を保持していたと言えよう。
政治の世界のみならず、経営の世界でも、矜持を持たない経営者が増えてきた。そしてそれが、無責任なマスコミによって時代の寵児ともてはやされるものだから質が悪い。例えば、外食業界においては、正気の沙汰とは思えない半額等のディスカウントを実施したり、また、流通業界においては元旦営業を実施したりとか。例は枚挙に遑がない。
このようなことを、、他への影響力の殆どない個人商店が生き残り戦略として実施したのならば、問題はない。
しかし、関係先企業や生活者に与える影響の計り知れない企業、極端に言えば日本経済への影響が大きい企業が、その影響を考慮することなく、自社の都合のみで意思決定したとすれば、これは大きな問題となる。
規模は大きくなったけれども、その経営者の哲学レベルは個人商店のままで、企業の成長についていけなかったと言わざるを得ない。
実際にディスカウント作戦は日本経済のデフレ傾向に拍車をかけ、元旦営業は生活習慣、大げさに言えば日本文化の良き伝統をスポイルする原因の一因を作ったと言ったら言い過ぎであろうか。
確かに世の中は規制緩和と自由競争という方向に向かっている。しかし自由であるからノールールで何をやっても許されるということではない。制服が自由化された途端、アロハシャツを着てきた高校生の話を聞いたことがあるが、これなど自由の完全な履き違えである。経営者も違う次元で、同じ過ちを犯していないであろうか。自由であるからこそ、逆に矜持を保ち、自らを律することが極めて重要であろう。
便利生活の光と影
金さえ出せば、殆どの商品を購入できる時代になって久しい。洗濯機、炊飯器等の普及で、家事負担が大幅に軽減され、次には白黒テレビや電話器が普及した時代を経て、クーラー、カー、カラーテレビの3Cに憧れたのは、随分昔の話となってしまった。自家用車は、今や、地方では一家に2台が当り前になり、エアコンのない家庭を探すのは至難の業となった。
食品も、バブル期頃から、世界中のモノが食べられるようになり、昨今のデフレは、同じ金額で入手できる商品点数とカロリーを大幅に向上させた。また、スーパーの惣菜の充実は驚くばかりで、家庭での料理の手間を省こうと思えば、それさえ可能な時代となった。
しかし便利生活は、デメリットをももたらす。自動車や家電の普及は体力の低下を招き、カロリー増加と相乗され生活習慣病の温床となった。また、食品の流通範囲の地理的拡大に伴い、保全性が要求された結果、添加物過剰使用が指摘される。将来、添加物危害が顕在化する可能性はある。さらにデフレ時代の異常な低価格競争は、原材料の一部に出自の不明確な低コストのものを使用する事態さえ招いた。産地偽装等はその典型である。勿論、これは、信用の裏切り行為であり同情の余地はないが。
また、家庭での調理機会が減ることで、おふくろの味等の家庭の文化伝承が稀有になってきた。これが若者の常識を逸脱した奇行の遠因となっていると考えるのは、筆者だけであろうか。躾は教育の基本中の基本であり、様々なカルチャーを伝承できない親が、子供に躾など出来る筈ない。おふくろの味は、最も大切な家のカルチャーの一つだと思うのだが。
世の中の全てことには、表と裏、光と影の両面がある。便利生活のメリットを享受する際には、デメリットをも認識しておくことが肝要である。正に両刃の剣なのだから。これを知るか知らないかが、便利性を真に享受できるか、逆に大切なものを失ってしまうかの別れ目となろう。
市場的新製品に注目
企業の最悪業績が叫ばれて久しいが、マスコミも世間も、悪い面に注目しがちなため、目立っていないだけで、こんな時代でも、きっちり儲けている企業は少なからず存在する。慶応大学名誉教授清水龍栄氏によれば、数百社のデータを統計分析したところ、業績の良い企業の共通の特徴は新製品開発を推進し続けていることだという。
新製品開発にあたっては、開発スタッフ以外でも、生産部門では新しい工程設計等を、営業部門では新しい市場戦略等を考えなければならない。新しいことを考えなければならないため、皆が頭を使い賢くなる。そして、賢くなった社員がまた新しいことを考えるという良循環となる。もし新製品がヒットした場合には自信となり、企業姿勢が明るく前向きに変わるそうである。確かに、リストラ等による一時的効果とは、本質的に異なることは容易に理解できる。
しかし新製品開発と聞けば、ウチには技術力がないから無理等の声が聞こえてきそうである。確かに、ハイテクがなければ無理な技術的新製品は存在するが、ハイテク抜きでも独創的アイデア・仕掛け等だけで開発できる市場的新製品もある。
効果から言えば、前者が遥かに大きく注目度も高いが、そう頻繁に出て来るものではない。一方、後者は長打ではない場合が多いが、打率は高い。そして長打狙いだけでは勝てないのは常識。それならシングルの連打の方が確実に勝てる。
実際、筆者の会社では、市場的新製品開発で、そこそこのヒットとなって、会社の組織体質・姿勢が明るく前向きに変わる経験をしたことがある。尤も連打は出なかったが。
一番怖いのは、技術が無いから無理だとか、独創的アイデアなど他社の話だとかの諦めである。諦めは組織を暗くするだけで何も産み出さない。また、行政は、技術的新製品のみならず市場的新製品開発をも支援すべきであろう。後者しかできない企業数と就業人口の方が圧倒的に多く、しかも打率は遥かに高いのであるから。
SARSの警鐘
中国と東南アジアでは、SARSが流行している。より近い北朝鮮問題には無関心を決め込んでいたノー天気な多くの日本人も、国家ではなく個人の安全保障の問題となれば、強い関心を持たざるを得ないようである。
幸い、現時点では日本での流行の兆しはないし、消化器系感染症でないため、流行地域からの輸入食品を媒介して感染する可能性は低そうである。
しかし、もし、これが消化器系感染症だったならと考えると、ぞっとする。というのは、日本には先進国中最低の三十パーセント台の食糧自給率という寒い現実があり、しかも、ここ数年は、一次産品、加工品ともに低コストのアジア諸国への依存度が上がっているからである。
もし、これら諸国で致死率の高い新型消化器系感染症が流行していたなら、石油ショックならぬ食糧ショックが発生していた可能性を誰も否定できまい。安全な食品を求めるどころか、食糧の必要絶対量が圧倒的に不足なのである。殺気だった集団が食糧を求めてスーパーに長蛇の列を成している姿は想像に難くない。
高度成長期、多くの日本人は、田畑を捨て都会へと出て二次三次産業に従事した。そして田舎とは程度の違う都会の文化的生活を享受した。田舎の若者はこれに憧れ、我先にと田舎を捨てるのが流行となった。さらに、バブル時代には一次産業は三K(きつい、汚い、危険)の代表と言われ、この傾向に拍車をかけた。
それらの結果、日本が経済的大発展を遂げたのも事実ではあるが。そしてフロー経済のみ先進国となった日本は、否応無しに、国際世論(殆どアングロサクソン・スタンダード)を受け入れざるを得ない立場となってしまい、食糧の多くを輸入に頼る構造が出来あがってしまったのである。
食糧を他国に依存することで得たメリットは大きいけれども、物心両面で失った代償もあまりに大きい。SARSを契機に食糧政策を真剣に考える時ではないだろうか。私には警鐘に思えてならない。