今夜は1986年〜1987年について
少しずつ書いていきたいと思います。

■大学卒業
1986年、私は大学4年生でした。
私は研究室で酸性雨について
研究していました。
春には、
選挙の応援で1ヶ月も抜け、
秋には、
原理研究会世界大会で、
研究室を休むことになりました。

だから、研究室の先生に
アメリカに行きたいと言ったら反対されました。
この先、大事な学問をおろそかにして そういったことに夢中になっていたら、後が良くないと言われました。

私は先生に言いました。
「私はいつも、
人生の選択肢の中で、一番大切なものを最優先しています。
学問を決して疎かにするわけではありませんが、
どうか、アメリカに行かせてください。」

先生たちに、
いろいろ話していくと、小澤竹二郎教授は理解してくださいました。
でも出席日数が足りなくて、
春休みも大学に行き、
研究室の担当技官の資料集めの、お手伝いをしました。
そしてなんとか、
無事に4年間で卒業することが
できました。



■1987年1月15日
「全国 大学教授 学生 東西南北統一運動連合」
創設大会が東京でありました。(教学統連)

そして私は大学を卒業してから、また 小澤教授に会いに行きました。
私はCARPで 責任分担が、教授 渉外になりました。

この時私は埼玉大学工学部を
すでに卒業していたので、
4月から学内にある夜間の、
埼玉大学短期大学 経済学部に、
編入しました。
CARPには本当に女子の学生が少ないので、
私はまた 学生になり、
埼大の中で活動するために、
この大学に編入しました。
(もともと興味がない学部でした。この時は学内で学生でいるために必要であったので。)

この経済学部の授業は、
ほとんど出ていませんでした。だから、2年くらいで在学は、
自動的にキャンセルされました。

だから私の最終学歴は、
埼玉大学工学部環境化学工学科
分析化学です。
小澤竹二郎教授の研究室で、
酸性雨の研究をしていました。




■教学統連
そして 1987年春から、
私は 埼玉大学の、各教授、助教授のお部屋にみ言を持って回りました。
ここで持って行ったのは、文鮮明師の冊子、
「南と北がともに生きる道」
という内容のみ言です。

全ての教授、助教授に同じように 、このみ言を配布してみました。
何回か訪問して反応を見ると、
反応あり、反応なし。
さらにその教授が、どんな思想 持っているのかが、だんだんわかってきました。

そうやって アベル的先生、カイン的な先生。
大学の中にいるたくさんの教授、助教授たちを、理解していくことができました。

そして最近は、
私の周りにいる人たちも、
その人の本音はどうなのか?
本物なのか?
偽物なのか?
帰ってくる反応で、
学ぶことがとても多いです。



そして、埼玉大学の私の研究室の 教授 であった、小澤竹二郎教授に私は、「知識」という雑誌を紹介しました。
教授には、アカデミーの会員になってもらいました。

当時私は小澤教授に、
アカデミーのセミナーに動員したことがあります。
あまりにも熱心に頼むものだから、しまいには折れて、
「牛に連れられ善光寺参り」
とおっしゃって、一緒にセミナーに参加してくださいました。
また、埼大のビデオセンターにも訪ねてきてくださいました。


とてもシャイな教授でした。
優しくて、穏やかな教授でした。


同じCARPの小口好弘兄が、
教授に 原理講義をしました。
私は、埼玉大学の教学統連の
担当の教授になってくださいませんか?
とお願いしましたが、
教授はそれは無理 無理と、辞退されました。


でも ビデオセンターに来る時は、お土産を持ってきてくださったり、私は大学の学内で、
スパゲッティを奢ってもらい一緒に食べたりと、卒業してからもたくさんお世話になりました。

卒業してから、
2年ほど、通いましたが、
私は、神奈川県に引っ越しました。
それ以来、連絡を取らずにいました。 
本当にすみませんでした。
一度、退官された時に、大学に言った事がありましたが、
私は、そのまま帰りました。
いまは、亡き小澤竹二郎教授。
ご冥福をお祈りいたします。



2024年9月24日 🌷✨
。。。。。。。。。。。。。。
食事を一緒に作り、
一緒に食べて 節約するのです。
そして、 かわいそうな人たち、
 飢えて死んでいく人たちを、
全て救ってあげなければなりません 。
子供たちも、 全世界的に募金運動をして、救済運動をしなければなりません 。
それをすることができるのは、
私たちしかいません。

「天運を呼ぶ生活 」
文鮮明先生のみ言葉より

。。。。。。。。。。。。。。

見よ、わたしはすぐに来る。
報いを携えてきて、 それぞれのしわざに応じて報いよう 。
私はアルパでありオメガである。
最初の者であり、最後の者である 。
初めであり、 終わりである。
いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって
都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。

(聖書・ヨハネの黙示録
第22章12節 〜 14節より)



昨日は、疲れ果て
本当に投稿が遅くなり、
すみませんでした。

最後まで読んで
くださった皆さま。
ありがとうございます。🌷✨

樋熊 恵 (沢田 恵)
ひぐま めぐみ  拝