そして1984年の3月に、
私は名古屋の守山修練所に行きました。
カープの新人研に参加しました。
そこで統一原理や統一思想、
勝共理論など、
たくさんのみことばを
学びました。
そして私が一番心に残っているのは
万物復帰の期間でした。
私たちは 珍味を持って
一軒一軒 訪問して
それを買ってもらいに
行きました。
珍味を売る事。
そのためには 一軒一軒、
誠を尽くして訪ねていかないと、
絶対無理だという事がわかりました。
当時、19歳の私は世間知らずで、
それを売る事が、
こんなにも大変なことなのかと
本当に涙あふれ数日間を過ごしました。
この期間は、毎日早朝に、
ぶち抜け火の玉を歌って
踊って出発しました。
基本的にあらゆる販売が
そうだと思いますが、
このように訪問するということは
とても心が砕かれるし
耕されるし、
心が折れそうなほど、
悲しくてとても辛い訓練では、
ありました。
私はとても
傲慢だったのだと思います。
この珍味を売るという事は
簡単なことだと、
軽く考えていたからです。
こんにちはと言って
元気に明るく笑顔で、
お願いすれば、
珍味は買ってくれるものだと
思っていました。
しかし私には、
心情転換が必要でした。
それまで、
どんなに心を正しても
動機を見直しても、
気持ちを分別しても、
私はその珍味を売る事が
できなかったのです。
任地のペアを組んだ友達が、
反対側から回ってきて、
毎回、どうだった?
と確認する時、
毎回私はダメだったと答えました。
ペアの彼女は、
そこそこ売れていました 。
そういう愛の減少感を
この期間に、
たくさん関じました。
何日も何日も、
そのような状態で、
何日も過した時には、
もう訪問するのか怖くなりました。
でも最終日の1日前、
班長さんが私の夢を見たと、
いいました。
私が、
ウェディングドレスを着て、
祝福される夢だと言いました。
私はその日は、
もう本当に休みたいと思うくらいの、
ボロボロの、
気持ちであったので、
班長さんの夢は
とても慰められました。
それで本当に、
気持ちを切り替えて、
実績や結果だけでなく、
ただ感謝して、
行ってこようと思いました。
私はこの期間ずっと
班の中で実績も最下位であったので。
ただそう言ってくれた、
班長さんには感謝で、
涙がこぼれそうな気持ちになりました。
そのように出発したら、
不思議とその土地の人が、
私が持っている珍味を
買ってくれるようになりました。
そして今度は、
ペアを組んでいたその子が
全く売れなくなりました。
本当に囲いこみで、
ぐるりと回って会った時に
「どうだった?」って聞くと
彼女は全然売れてなくて、
すごく苦しそうな顔をしていました。
その彼女の姿を見た時に、
この姿は昨日までの私であったので、
私は彼女の痛みが、
すごくよくわかりました。
彼女の苦しさがすごくよくわかりました。
だからその時、
私はもう満足したので、
彼女の珍味が売れるようにして
くださいとお祈りしました。
それからは不思議と 、
2人とも売れるように
なったのです。
本当にお互いが売れて
また次のブロックに行く
というような歩みを、
最後には、
経験する事ができましました。
私は悟ったのは、
いままでは、
自分の珍味は何で売れないんだ
ろう?
ってずっと考えていました。
けれどその日は、
自分の事だけでなくて、
二人一緒に
勝利したいと祈ったので、
神さまが聞いてくださったのかな?
と思いました。
小さな神体験をしたような
気持ちになりましました。
この新人研1ヶ月の中で
私の心に深く刻まれた
思い出となりました。
一人で勝利しようと思ったら、
絶対できなくて、
二人で勝利しようと祈った時に、
神さまが働いたという体験を
初めての万物復帰の中で、
学ぶ事ができました。
。。。。。。。。。。。。。。
一日一日の生活で
最も恐ろしいのは
対人関係です。
人の心が最も恐ろしいのです。
「天運を呼ぶ生活」
文鮮明先生のみ言葉より