そして 1984年1月2日。
大切な文先生の次男の、
文興進様が、
霊界に逝かれました。
1983年末に文先生は、
韓国 8大都市で
全国勝共決起大会を行いました。
その最後の
光州大会が行われた 12月23日に、
アメリカにおいて、
興進様が交通事故に遭遇されました。
もはや 助からない状態の、
興進様でした。
しかし1983年を超えて
1984年の1月2日に、
興進様は逝かれました。
そしてそこで文先生は、
愛勝日を宣布されました 。
文先生は、
文先生の代身者として、
愛の全権大使として、
興進様を霊界に送りました。
人類の救いのために
喜びの心情で、
神を愛されるという
絶対愛の基準を立てられました。
それゆえ興進様は
霊界と地上界を、
自由に往来することが
できるようになったのです。
私も、
そのような興進様の犠牲の上に
この道に、
導かれたのだなぁと…。
いまも記憶に残る
忘れられない1984年。
決意の一日となりました。
。。。。。。。。。。。。。。
自分が持っているものは、
自分のものではありません 。
それは国のものであり、
世界のものです。
私のものは
世界のものであると同時に
国のものであり
私たちのものです。
国自体が管理できないので
私が中間的な責任者の立場で
管理していると
考えなければなりません。
国が願うときは、
そのものを国に捧げるのです。
それが道理です。
「天運を呼ぶ生活 」
文鮮明先生のみ言葉より