「酒折宮と火打袋」


倭建命は、


東の国々の荒ぶる神と


命令に従わない者たちを平定し、


大倭への帰り道、一行は、


甲斐国(現在の山梨県)に入り、


酒折に設けておいた


行宮(行幸用の滞在施設)に着きました。


その夜、倭建命は庭に出て、


歌を詠みました。


「新治筑波を過ぎて 幾夜か寝つる


(東国の果ての新治や筑波の地を通りすぎてから、


もう、幾夜寝たのだろうか。)」


すると、その庭で、


警護のためのかがり火を焚いていた老人が、


この歌の返事を即興で歌に詠みました。


「日々並べて 夜には九夜 


日には十日を(日数を重ね、夜では九夜 


昼では十日でございます。)」



倭建命は、


この老人の賢さを大いに褒めて、


すぐさま国造をお与えになりました。


さて、現在の酒折宮(甲府市酒折)には、


神社の由緒として


次のようなお話が伝えられています。


山梨建命から国造に任じられた老人は、


名を塩海足尼といいましたが、


倭建命がしばらく滞在した後、


信濃国に向けて出発する時に、


塩海足尼を呼んで、


「そなたはこの国を開いて益を興し、


民人を育てなさい。」


とおっしゃって、


火打袋を授けました。


その後、塩海足尼が、社殿を建てて


火打袋をご神体としておまつりしたのが、


現在の神社の始まりとしています。


<監修•埼玉県神社庁>

。。。。。。。。。。。。。。。

>ここにおいて天は、


>堕落世界の因習をそのまま維持するために、


>新しい出発に反対する者がいないことを求めている。


>したがって、特別に選ばれた者は一つになり、


>世界に対してその使命的役割を


>果たさなければならない。


>そうして、基本完成した人生をもって


>天の食口(家族)と一つになり、


>残された全世界を取り戻すのである。


>このようにして


>堕落前にすべきだった基本出発を果たし、


>天の父と母と共に地から永遠の生を


>完成しなければならない。



文鮮明   原理原本より

。。。。。。。。。。。。。。

おはようございます。


いつもマイブログを読んで下さる皆さま。


ありがとうございます。


今日は、主人と共に


南麻布の仕事に来ています。


昨日から、


泊まりがけの仕事です。


主人は爆睡中。


私は、


そんな時間が投稿タイムです。




私達は、


いつも二人で、


浜田省吾の曲を聞きながら


仕事をしています。✨


今年は、


埼玉スーパーアリーナの 


コンサートにも行きました。


それがまた、


震災の支援にもなりました。







また他の送金も、


主人の名前で送ります。🌷✨


みこころの通りなりますように、


お導きください。🌷✨




最後まで読んでくださった皆さま。


いつもありがとうございます。


今日もまた、


たくさんの喜び訪れる、


素敵な1日でありますように。💓



2024年1月30日


ひぐま めぐみ 拝