母について考えてみた。
私は、人生の目標の一つとして親孝行をしたいと思っていた。
通常、親は自分より先にいなくなる。
そのときに後悔したくなかった。
遠くの大学に行かなかったのも、就職を近場にしたのも、一人暮らしは向いていないというのもあるけれど、根底には親に何かあった時にそばに居たいと思ったからだ。
昔から母に喜んでほしくて、会社帰りや外出の帰りに口コミで評判の良いお店へ行き、母の好きなパンやケーキを買って帰った。
駅から往復40分歩いて買ったこともある。
母が美味しいと言えば次の週も買いに行き、美味しくないと言えばまた新しいお店を探す。
でも、母はそうして私が買ってきた物より、都会に住む姉がたまに来るときに買ってくるものを喜んだ。
大して美味しくなくてもありがたがって、都会のお菓子はやっぱり違うと言って食べる。
ある時、元同僚(15歳上の女性で子持ち)で今は友人と買い物に行き、いつもの如く母にお土産を買おうとした。
ふと、その友人に聞いてみた。
私「なんでお母さんは私が買っていくお土産を喜んでくれないんだろう」
友人「それは、あなたが毎回買って行くからだよ。ありがたみがなくなるんだよ」
なるほど。確かに。
そんなこと考えもしなかった。
毎回当たり前だからありがたいなんて思われないんだ。
友人の助言の通り、お土産は3回に1回くらいに変えた。
そうすると前よりは少し喜ぶようになった。
ほんの少し。
それで最近は考えを変えた。
子どもを見てもらった時は何かしらお礼を渡すが、どこかへ行っても実家にお土産は買わないようにした。
例えば姉と同じお店で買っても姉なら喜ばれて、私は大したことないと思われる。
それなら無くてもよい。
長くなったが、親孝行は私の人生の目的の一つだと思っていた。
それくらい、昔の私は母を大切だと思っていた。
でも、私は最近自分の性格の歪みに気付いた。
母は私に責任をなすりつける。
つい先日は、実家のお風呂の換気扇が壊れて大きな音が出ていたらしい。
長男のリクエストで実家へ行き、お風呂も入って行ってというので断ったが、用意したと言うのでありがたく借りた。
家に帰ってからLINEが来た。
「換気扇が壊れてすごい音が出ている」
「裏にまで聞こえている」
私は、換気扇が付いた状態のお風呂に入った。
既に付いていたのだ。
それも、大急ぎでお風呂に入ったので5分くらいしか使っていない。
お風呂に入ったときは換気扇からは変な音はしてないなかった。
しかし、私が帰るときに大きな音がしているなとは思ったが、寝ている次男を抱いて荷物を持っていたのでそれどころではなかった。
で、帰って来たらこれだ。
母から来たLINEは、換気扇を付けて壊れたのはお前のせいだ、と言っているようなものだ。
今までもそうだった。
うちの母は悪いことが起こると私のせいにする。
その都度私が何をしたか聞くのだが、
お前がうるさいから、とか
お前がいたから、とか
とにかくすべて人のせいにしてきた。
今回も人のせいにされて、今までのことを振り返って初めて気付いた。
私は私自身に価値が無いと思っていた。
部活で部長になっても、仕事で少しばかり評価されても、誰かから褒められても。
本当の私はどうしようもない人間だから、褒めないでください、大した人間ではありません
どうか本当の私に気付かないでください
と思っていた。
それは、そうなのかもしれない。
私は一人では何もできない。
それに、これも言われた。
「どうせ出来ないんだから、仕事は工場の事務が一番良い」
「どうせ無理だからやめておきな」
※工場の事務は友達がやっていて、とても大変なのは私は知っている。
例えば私が失敗したら
「あんたか○○したから」
「あそこであんたが○○しなければ」
親になった今だからわかるが、それは反省を促す意味なのかもしれない。
でも、常にこれを言われ続けたからか、私の自己肯定感はものすごく低い。
最近子育ての勉強をしていて、大切なのは自己肯定感や何があっても味方になってあげること、と言うのを見た。
私の母は真逆の事をして来たんだと思った。
その結果が今の私なら、息子には同じことをしてはいけないと肝に銘じた。
そういう私も今の性格を母のせいにしているのでは無いかと思ったので、考えを改めないといけない。
お茶好きな母に送ったお茶
値上がりしたけどこれは美味しいそうです
色々試して、これが剥がれずらいです