2018    9/18

この2日間 
樹木希林さんの事ばかり書いているので
「この人は樹木希林さんロスで
    他の事が手に付かないのでは?」
なんて思われているかもしれません。
確かに、亡くなった事を知った時には
同じクリニックの仲間たちとラインで
私たちの同窓会長を失った哀しみで
暫し呆然という会話をしていたけれど、

でも 癌で亡くなった他の有名人と併せて
樹木希林さんの死を
自分の死の予告編として怯えたのではなく
むしろそこへ至るまでの生き方や最期に
私たちは新たな勇気を貰いました。
希林さんの跡を辿って私たちも
癌があろうが消えようが逞しく伸びやかに
自分の生を堪能しようと話しました。

次回の同窓会では希林さんに会えないとか
そういう現実的な寂しさはありますが、
私たち後輩にとって希林さんは
何よりも確かなエビデンスとして
過去も今も未来も存在するのです。

たくさんの映画に出てテレビに出て
あれだけ活躍した希林さんであっても
あの治療で結局亡くなってしまった!と
書かれたり言われたりするのは野暮です。
どんな治療でも死なない治療は無く、
癌で無くてもいつかは何かで死ぬのです。
希林さんでなくても他の有名人が
あちこちで治療の果てにUMSへ駆け込み
最期かUMSだったりすると
それが死因のように書かれたりもします。
万能な治療は何処にもあり得ないし
誰でも治療の長所だけ活かすことは無理。
それでも希林さんはUMSを選んで長い間
癌を手懐けながら仕事をして来ました。
それが確固たるエビデンスでなくて
何がエビデンスなのでしょう?

統計上のエビデンスは何の意味も持たず、
ただ それぞれの人が如何に自分らしく
人間らしく活動出来ているか、 
その姿自体が一番納得出来る
エビデンスだと思います。

昨夜も2年前の同窓会での
希林さんのスピーチ動画を見ながら
やはり大笑いしていました。
あの日の会場全員の笑い声からも
私たちは生きる力を貰っています。