2024,7,7、
日曜礼拝
讃美 あなたがすべて Jesus You are my All in all What A Beautiful Name
テーマ
「犯した罪の返済から
天の御国に至る為の試練へ」
いつまでこんな事が続くのか。良い事も中々やってこないし。
そりゃあ、愚痴りたくもなるよな。なんてつぶやく事があるでしょう。私たちは今、永遠に対
する準備をしているのです。
2歴代誌20:17
この戦いでは、あなたがたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ。あなたがたと共におられる主の救いを見よ。ユダおよびエルサレムよ。恐れてはならない。気落ちしてはならない。あす、彼らに向かって出陣せよ。主はあなたがたと共にいる』」。
時に窮地に追い込まれたり、悪い状況におかれると主がどこにおられるのか、
どうしてこんなに辛い目にあうのか、
助けが来ないのか。と考えてしまうことがあります。
クリスチャンになったら、全くそういう目に合わないということはありません。
むしろ試練に遭うと言われています。
1ペテロ1:6
そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。
今は、
しばらくの間、さまざまな試錬の中で、悲しまなければならないのですが、
★ ただ、私達が遭う試練の内容が変わります。
罪からくる贖いの試練から信仰の為の試練。
●━の返済ではなく、+の為の試練。
犯した罪の代償から天の御国に至る為の試練です。
1ペテロ1:7-9
あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちていく金よりも尊く、イエス・キリス
トの現れのときに、賞賛と光栄と栄誉に成る事が分かります。
●あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、愛しており、今、見てはいけないけれ
ども、信じており、言葉につくす事の出来ない、栄にみちた喜びに踊っています。
これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。
2テサロニケ1:4-12
それゆえ、私たちは、神の諸教会の間で、あなたがたすべてのあらゆる迫害と患難とに耐え
ながら、その従順と信仰とを保っている事を、誇りとしています。
●この事は、あなたがたを、神の国にふさわしい者にする為、神の正しいさばきを示す印で
あって、あなたがたが苦しみを受けているのは、この神の国のためです。
つまり、あなたがたを苦しめる者には報いとして、苦しみを与え、苦しめられているあなたが
たには、わたしたちと共に、報いとして安息を与えて下さる事は、神にとって正しいことなの
です。
その事は、主イエスが炎の中に力あるみ使いたちを従えて天から現れる時に起こります。
その時、主は神を知らない人々や、
わたしたちの主イエスの福音に従わない人々に報復されます。
そのような人々は、主のみ顔の前とそのみ力の栄光から退けられて、永遠の滅びの刑罰を
受けるのです。
その日に、主イエスはこられて、ご自分の聖徒たちによって栄光を受け、信じたすべての者
の―そうです。―あなた方に対するわたしたちの証言は、信じられたのです。感嘆の的と成
られます。
●そのためにも、わたしたちはいつも、あなた方の為に祈っています。どうか、わたしたちの
神があなたがたを召しにふさわしい者とし、又、御力によって、善を慕うあらゆる願いと信仰の働きとを全うして下さいますように。
それは、わたしたちの神であり、主イエス・キリストとの恵みによって、主イエスの御名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主にあって栄光を受けるためです。
私達の労苦は主の再臨の時に報われ、安息が与えられます。
2テサロニケ1:7
苦しめられているあなた方には、私たちと共に、報いとして安息を与えて下さることは、神に
とって正しい事なのです。
●その事は、主イエスが炎の中に力あるみ使いたちを従えて天から現れる時に起こります。
ですので私達は主の再臨を待っています。
ヨハネ3:16-21
●神は実にそのひとり子をお与えに成ったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が
ひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つためである。
神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、
●御子によって、世が救われるためである。
御子を信じる者は、さばかれない。
信じない者は、神のひとり子の名を信じなかったので、
すでにさばかれている。
そのさばきというのは、こうである。
光が世にきているのに、人々は光よりもやみを愛した。
その行いが悪かったからである。
●悪い事をする者は光を憎み、そのおこないが明るみに出されるのを恐れて、光の方にこない。
●しかし、真理を行う者は、光の方に来る。そのおこないが、神にあってなされたということが、明らかにされるためである。
行いが明るみになる。
逃げ切ったように見える悪人も死後のさばきに会います。
そこは私達も公正公平です。
ですので、隠れたところでも良いことをすると宝を積むことができます。
マタイ6:16-18
断食をする時には、偽善者たちのように、やつれた顔つきをしてはいけません。
彼らは断食をしていることが人に見えるようにと、その顔をやつすのです。
まことにあなた方に告げます。彼らはすでに自分の報いを受けとっているのです。
しかし、あなたが断食をする時には、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。
それは断食していることが人に見られないで、隠れた所におられるあなたの父に見られるためです。そうすれば、、隠れたところで見ておられるあなたの父が、報いて下ささいます。
隠れたところで行った良い事は神のみぞ知ります。
それは人の賞賛を受け報いを受けるものではなく、天に宝を積む行為です。
ですので、信仰で成功しよう。派手な活動をしようと野心を持つ必要はありません。
かえって地味で、目立たず、神と人に尽くす教会が天において評価が高いということがあり
得ると思っています。
マタイ6:19-21
自分の宝を地上に蓄えるのはやめなさい。そこでは、虫と、さびで傷物に成り、また、盗人が
穴をあけて盗みます。
●自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは虫も、さびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。
あなたの宝のある所には、あなたの心もあるからです。
ですのでクリスチャンと会った時に、世のように評価しないでください。
「信仰がその人です」
周りの見た目だったり目立つ功績で評価するのは世と同じです。
一切世で有名ではない信仰の巨人はいます。
そういう人は神の名を上げます。
見られていても見られていなくても良い行いをできる人が本当に主を慕うしもべです。
そういう人を目指したいと思います。
試練の中で、自分で復讐をしたり、労苦の報酬として、人の称賛を求めることではなく、
見ておられる主によって、その報いは与えられます。
ヨハネ5:25-30
まことにまことにあなた方に告げます。死人が、神の子の声を聞く時が来ます。
今がその時です。そして聞く者は生きるのです。
それは、父がご自分のうちに生命を持っておられる様に、子にも、自分のうちに生命を持つ
ようにしてくださったからです。
また、父はさばきを行う権威を子に与えられました。子は人の子だからです。
このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな子の声を聞いて出てくる時が来ます。
善をおこなった者は、よみがえって命を受け、
悪をおこなった者は、よみがえってさばきを受けるのです。
わたしは、自分からは何事も行うことができません。ただ聞く通りにさばくのです。そして、わたしのこのさばきは正しいのです。
●わたし自身の望むことを求めず、わたしをつかわしたかたの、み心を求めるからです。
アーメン