2024.6.9
日曜礼拝
賛美 あなたがすべて You Deserve It
テーマ 「救い、
どうする事もできない罪を砕く」
蜜
エゼキエル2:6-8
人の子よ、彼らや、彼らの言葉を恐れるな。
たといあざみといばらがあなたと一緒にあっても、またあなたが、さそりの中に住んでも
恐れるな。
彼らは反逆の家だから。
その言葉を恐れるな。彼らの顔にひるむな。
彼らは反逆の家だから、
彼らが聞いても、聞かなくても、あなたはわたしの言葉を彼らに語れ。
人の子よ、わたしがあなたに語る事を聞け。
反逆の家のようにあなたは逆らってはならない。
あなたの口を大きく開いて、わたしがあなたに与えるものを食べよ」。
エゼキエル3:2-3
そこでわたしが口を開けると、その方はわたしにその巻物を食べさせ、
そして仰せられた。
「人の子よ、わたしがあなたに与えるこの巻物で腹ごしらえをし、あなたの腹を満たせ」。
そこで、わたしはそれを食べた。(神の言葉を)
するとそれはわたしの口の中で蜜のように甘かった。
(蜜のように甘かった)
神の言葉を満たして食べると物の見方が変わる。
●考え方や
●思い入れ、
●ものの見方が変わって行く、
思考の限界を超える。
視野が広がって主の視点を知る。=私たちの善悪ってなんぞや、
●バイアスがかかっている。
●枠から離れられない。
●神の考えが理解できない。
●人間にとっての善悪。
●神は全体の視点。ずれ、限界を超えてる存在。
●神の視点、理不尽に思える事がある。
●み言葉の重み、自分目線から神目線に繋がる。
1サムエル14:27-29
ヨナタンは、父が民に誓わせていることを聞いていなかった。それで、手にあった杖の先を
伸ばして、それを蜂蜜の巣に浸し、それを手に付けて口に入れた。すると彼の目が輝いた。
その時、民のひとりが告げて言った、「あなたの父は、民にかたく誓わせて『きょう、食物を食べる者は、のろわれる』と言われました。それで民は疲れているのです」。
ヨナタンは言った、「父は国を悩ませている。ごらん、わたしの目はこんなに輝いている。この蜜をすこし味見しただけで。
マタイ6:22-23
からだのあかりは目です。それでもし、あなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、
もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたの内の光が暗ければ、その暗さは、どんなでしょう。
みことばの乳
1ペテロ2:2
о今生れたばかりの乳飲み子のように、(優しいみ言葉から)
о純粋なみことばの乳を慕い求めなさい。
●それによって成長し、救いを得るためです。
神の善悪を知る迄
イザヤ7:14-15
それゆえ、主みずから、あなた方に一つのしるしを与えられる。
見よ、処女がみごもっている。そして、男の子を産み、その名をインマヌエルと名付ける。
●この子は、悪を退け、善を選ぶことを知るころ迄、
凝乳と、蜂蜜を食べる。(信仰を喜ばせる奥義を知って行く)
申命記11:9
また、主があなたたちの先祖たちに誓って、彼らとその子孫とに与えると言われた地、
●乳と蜜の流れる国で、長生きすることができる。
乳と蜜(赤児からの成長)
●御言葉は私達を育て、また喜びを与えます。
●私達が御言葉で腹を満たす
=心を満たすほどに食べなければならないのは
なぜでしょうか。
●アダムがエデンの園を去った時から、
私たちは原罪によって混乱した善悪しか知りません。
●正しい神の善悪を私達は知ることができません。
よって私達の善悪の行く末は
地上の人の目的が唯一一致した前例があります。
創世記11:4
そのうちに彼らは言うようになった。
「さあ、我々は町を建て、頂が天に届く塔を建て、名を上げよう。
われわれが全地に散らされるといけないから。
サタンの目的は何だったか━そのうちに彼らは言うようになった。
・頂きが天に届く
・名を上げる
●人が神になり替わろうという欲望●
━それが罪ある私達の欲の行く末です。━
テクノロジーの発展も含め、欲の方向性は実はずっとそちらに向いていないでしょうか。
●天は主のものであり、私達は神の名をあげるため賛美します。
●この世の欲が深い人は自分が神になろうとし、自分の名をあげようとします。
(この世の価値に照らし、選択は簡単です。しかしそれはサタンと同じ罪であることに
気付きます。)
SNSの問題も多くは自分の名をあげようと試みる人達の欲が引き起こすものが多いので
はないでしょうか。
私達の持つ善悪は自分にとって良いか悪いかです。
●ここがスタートであり、これしか知らないので各々好きなことをして好きなように主張
しています。
●これでは神の善悪を知る機会はありません。
●仮に救われてもこの生まれた時から背負わされる罪の善悪から逃れることは相当に
困難です。
この罪の奴隷から救われるには
どうすれば良いのか。
★腹(心の底から)を満たすほど御言葉で満たされないといけません。
★自分の善悪ではなく、神の善悪を知り、同意し、満たさなければなりません。
★その際は自分に都合の悪いこと、自分の善悪とぶつかること、
抵抗を感じることがあります。
しかし、学ぶという姿勢で素直に御言葉を心に満たしていくことがなければ、
行動を変えることもできません。
主イエスキリストでさえそうした、とあるのですから私達は尚更です。
イザヤ7:4-15
そこで彼に言え。『気をつけて、静かにしていなさい、恐れてはなりません。あなたは、これら
二つの木切れの煙る燃えさし、レヂンすなわちアラムとレマルヤの子との燃える怒りに、心を弱らせてはいけません。
アラムはエフライムすなわちレマルヤの子と共に、あなたに対して悪事を企ててこう言っています。
「われわれはユダに上って、これを脅かし、これに攻め入って、我がものとし、タビエルの子をそこの王にしよう」と。
神である主はこう仰せられる。「その事は起こらないし、ありえない。」
実にアラムのかしらはダマスコ、ダマスコのかしらはレヂン。(六十五年のうちにエフライムは粉砕されて、もう民ではなくなる。)
また、エフライムのかしらはサマリヤ、サマリヤのかしらはレマリヤの子。もしあなたが信じなければ、長く立つことはできない』」。
主は再びアハズに告げてこう仰せられた。
「あなたの神、主からしるしを求めよ。陰府の深み、あるいは上の高い所から」。
するとアハズは言った、「わたしはそれを求めません。主を試みません」。
そこでイザヤは言った、「さあ聞け。ダビデの家よ、あなたがたは人びとを煩わすのは小さな事とし、わたしの神をも煩わすのか。
それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。
見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと名付ける。
この子は、悪を退け、善を選ぶことを知るころまで、凝乳と、蜂蜜とを食べる。
また主はことばであるとあります。
ヨハネ1:1-5
初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。
この方は、初めに神と共におられた。
すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方に寄らずにできたものはない。
この方に命があった。この命は人の光であった。
光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
救い
イエスを着るならば中身がないといけません。
マタイ9:17
又、人は新しいぶどう酒を古い皮袋に入れる様な事はしません。そんなことをすれば、皮袋は裂けて、ブドウ酒は流れ出てしまい、皮袋もダメになってしまいます。
新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れれば、両方とも保ちます」。
1コリント15:44-58
血肉のからだでまかれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。
聖書に「最初の人アダムは生きたものとなった」と書いてありますが、最後のアダムは生か
す御霊となりました。
最初にあったのは、血肉のものであり、御霊のものではありません。
御霊のものは後に来るのです。
●第一の人は地から出て、土に属する者ですが、第二の人は天から出たものです。
●土で造られたものは皆、この土で造られたものに似ており、天からのものは皆、この天か
ら出たものに似ているのです。
●わたしたちは、土で造られた者の形をもっている様に、天上の形をも持つのです。
兄弟たちよ。わたしはこの事を言っておきます。
血肉のからだは神の国を相続出来ません。朽ちるものは朽ちないものを相続する事は
出来ません。
●聞きなさい。
わたしは、あなたがたに奥義を告げましょう。
わたしたちは皆、眠ることに成るのではなく、変えられるのです。終りのラッパと共に、たちまち、一瞬の内にです。
ラッパが鳴ると、死人は朽ちない者によみがえり、わたしたちは変えられるのです。
●朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、
死ぬものは必ず不死を着なければならないからです。
しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、
「死は勝利にのまれた。」と記されているみ言葉が実現します。
「死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。
死のとげは罪であり。罪の力は律法です。
しかし、神に感謝すべきです、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、
わたしたちに勝利を与えてくださいました。
ですから、
●わたしの愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。
〇あなたがたは、主にあって自分たちの労苦が、むだではないことを知っているのですから。
アーメン。
私達が十字架を信じ、
また、神を信じ、
神を第一とするとき、
原罪は赦され、
もはや罰は、
死はそのとげを失います。
●難しいことを言わないようにするならば、
あなたが神を愛し、人を愛した時からあなたの
罪は許されます。
それは肉の欲を殺し、神を求めることであり、
生まれ持ったどうすることもできない罪を砕くことだからです。
神に感謝します。
アーメン