2024.4.7

 

日曜礼拝

 

賛美   静まって知れ Still   大いなる方に

 

テーマ  【私たちの心の変革】

 

 

クリスチャンに成って何かにチャレンジしたことjはありますか?

悪癖をやめようと努力し、何年も克服できず、どうしたら良いのかわからず困っている人

は多いと思います。

●クリスチャンになったのに何も変わらない。

●やめようと何度も思っていることが変わらない。変えられない。

●ついついイライラして人に強くあたってしまう。

●女の人を見る目が卑しい。

●色んなことが面倒でついだらけてしまう。

 

などなど。

 

他にも悩みはあるでしょうが、これらは行動を直そうと思ってもなかなか変わりません。

こういう話が苦手な人もいるでしょうが、何時かは向き合わなければいけない事です。

 

気付いていない原因を知る

悪霊の影響がある場合があるので、祈りによってでしか解決できない場合があります。

 

ルカ8:27-35

イエスが陸にあがられると、この町の者で、悪霊につかれている男がイエスに出会った。彼

は長いあいだ着物も着ず、家には住まないで墓場に住んでいた。

彼はイエスを見ると、叫び声を上げ、みまえにひれ伏して大声で言った、「いと高き神の子イ

エスよ、一体わたしに何をしようと言うのです。お願いです、どうかわたしを苦しめないでください」。

 

それは、イエスが汚れた霊に、その人から出て行け、とお命じになったからである。汚れた霊が何度もこの人を捕えたので、彼は鎖や足かせでつながれて看視されていたが、それでも、それらを断ち切っては悪霊によって荒野へ追いやられていたのである。

 

イエスが彼に「なんという名か」とお尋ねになると、「レギオンです」と答えた。悪霊が大勢彼

の中にはいっていたからである。

悪霊どもはイエスに、底知れぬ所に行けとはお命じになりませんようにと、願った。

 

ちょうど山のそのあたりに、おびただしい豚の群れが飼ってあったので、悪霊どもはその豚

の中へはいることを許してくださいと、願った。イエスはそれを許された。

 

悪霊どもは、その人から出て豚の中へはいった。すると豚の群れはいきなり、がけを下って

湖に入り、おぼれ死んだ。

飼っていた者たちは、この出来事を見て逃げ出し、町や村々でこの事を告げ知らせた。

人々がこの出来事を見にきて。イエスの側に来たところ、イエスの足もとに悪霊の去った男

が着物を着て、正気に返ってすわっていた。人々は恐ろしくなった。

 

こういう場合、おそらく

★自分では軽微なものなので祈る必要が無い。

★祈っても意味がない。

★あるいは祈り方がわからない。

などが理由で祈らず、自分の行動を自分で直そうとして失敗する場合があります。

 

見えないものがあるということを知る

と言うと、オカルトちっくな話と捉えて信じないという方もいますが、

聖書はその領域の話がほとんどなので、

自分の考え方を砕いてまっさらな状態で読んでください。

 

さきほどのルカの話でも、男は自分ではどうにも出来ないほど、悪霊に影響されている状

態でした。

 

悪霊の性質

この話でわかるようにアニメや漫画で語られるような動物的で単純なパターンの行動をす

るようなわかりやすいものではなく、

悪霊は私達と同じように「考え」、

自分の考えを持って喋り、

コミュニケーションが可能です。

そこには「戦略」もありますし、

「組織」もあります。

それは世界規模で活動しています。

 

これらは見えないものですが、

霊的なものにこの地は影響を強く受けているので、可視化されているものもあります。

その一つは世界の他の宗教において「蛇」や「竜」がよく入り込んでいるところです。

 

サタンは自分を礼拝させたいので、そこで必ず姿を入れ込みます。

仏教にせよ神道にせよ、本来必要のなさそうなところまで「蛇」や「竜」が入ってきます。

 

また、エンタメの世界でも注意深く見ているとよく入り込んでいます。

ですから

人々の崇拝が集まるところにもぐりこむので

普段見るもの、読むものにも注意が必要です。

 

興味のある方は知識として調べてもいいかもしれません。

 

私達が敵対しているものは

けっして「知能が低く」「力が弱く」「気が小さく一度出ていけと

言ってすぐ出ていく弱い」ものではありません。

 

また、

「気づかないように罠をしかけ」てくるので、私達が繰り返し罪を犯す原因が実は罠を

はられているところにひっかかっている可能性もあります。

 

例えば

●気が短い人が必ず人に強くあたってしまう時は「酒」がそこにあったり、

●女性で失敗する時は「インターネット」があったり、

●ずっと不安な時は「メディア」があったり、

 

では

どのように対処すれば良いのか。

●一つは祈りです。

強い影響を受けている場合は

さきほどのルカで出ている話のように祈りによってでしか解決しない時があります。

また強い衝動で繰り返す悪癖も、ここが原因の時があります。

 

次に

考え方を変えるです。

マタイ7:3-5

又なぜ、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気が付かないので

すか。

兄弟にむかって、「あなたの目のちりを取らせてください」、等とどうして言うのですか。見な

さい。自分の目には梁があるではありませんか。

偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目

からも、ちりを取り除くことができます。

 

ここでは他人の些細なミスや間違いなどを目ざとく見つける人が語られています。

しかし、よく考えると「人の揚げ足をとろうという目線がある」から私達はそこに目が行きます。

仮に「人を許し、愛そうという目線」であれば気にならなかったかもしれません。

 

物の見方が自分の「罪」を生んでいることがあります。

 

創世記3:1-7

さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、へびが最も狡猾であった。

へびは女に言った、「あなた方は、園のどんな木からも食べてはならない、と神がほんとう

に言われたのですか」。

女はへびに言った、「わたしたちは園にある木の実を食べて良いのです。

しかし、園の中央にある木の実について神は、「あなた方は、それを食べてはならない。そ

れに触れてもいけない。あなた方が死んではいけないからだと、仰せに成りました。

そこでへびは女に言った、「あなたがたは決して死にません。

あなた方がそれを食べる時、あなたがたの目が開け、あなた方が神のようになり、善悪を

知るようになることを、神は知っているのです」。

 

●そこで、女が見ると、

まことに食べるに良く、目には麗ししく、賢くすると言うその木はいかにも好ましかった。

それで女はその実を取って食べ、また一緒にいた夫にも与えたので、夫も食べた。

このようにして、、ふたりの目が開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。

こで、彼らはいちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰の覆いを作った。

 

ここでは物の見方が一度変わることで二つ、目に見えていたものの意味が変容してしまっ

た事例です。

 

善悪を知る知識の木の実は「サタンの考え方を入れられた」ことで、それまでは気にならな

かったものが、とても魅力的で欲望を刺激するものに見えました。

また、

裸もそれまでは健全な思いで何も感じなかったのに、急に恥ずかしくなりました。

 

そして自分の考え方に邪なものがあり、それらが露わになるのを恐れるようになり隠そうと

いう心理が働くようになります。

 

逆に言えばその「ものの見方」が入る前は同じものを見ても何も思わなかったわけです。

 

マルコ7:20-23

又言われた、「人から出るもの、これが人をけがすのです。

●内側からすなわち、人の心から出てくるものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、

姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、妬み、そしり、高ぶり、愚かさであり。

これらの悪はすべて内部から出て、人をけがすのです」。

 

マタイ15:18-20

口から出るものは、心から出てきます。それは人を汚します。

悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、ののしりは、心から出てくるからです。

これらは人を汚すものです。しかし、洗わない手で食べることは、人を汚しません」。

 

心です。

 

ロマ12:2

この世と調子を合わせてはいけません。

いやむしろ、神のみ心は何か、

すなわち、何が良い事で、神に受け入れられ、

完全であるかをわきまえ知る為に、

心の一新によって、自分を変えなさい。

 

 

心の一新により

心が変わらないと変えられないものがあります。

繰り返し行う悪癖は

自分自身のアイデンティティと思っていたものを、捨てる必要が出るかもしれません。

 

生まれ変わるとは心においては文字通り、自分の生き方・哲学・大事にしているものを捨て

る必要が出る時があります。

 

聖書を読んでいるとどうしても受け入れられない、相容れない部分が出てきます。

そこを受け入れようとするときに出てくる抵抗部分を砕くと、

その時はとてもつらい思いはしますが、一つ変えられたりします。

 

この変革は一瞬の時もありますし、時間がかかることもあります。

神は私たちに、歩んでほしい事を事前に、計画しています。邪魔によって狂わされた人生を

地道に変えて生きましょう。

 

アーメン