今日は、平塚のよさこいを観に行きました。

昨日は、やる側で、今日は、観る側。

世には、2つで一つのものが沢山ある。
プラスとマイナス。裏と表。

表現が適切でないかもしれないが、憎しみと愛も2つで一つ。可愛さ余って憎さ百倍って言葉があるように、憎しみも愛なのだ。

よさこいから、離れたが、観ていて、上手い団体は観たいが、そうでないなら、観ても…と思った私。
大雨が降って来たら、もう、いいやって感じ。

私には、上手くなきゃ意味がないという思いがあるみたいだ。意識の世界では、信念とか、観念とか、呼ぶもの。

私は、学生時代、体育は苦手でずっと成績は、2。
身体を動かすのが好きだと感じ始めたのは、子供が小学生位になってから。

たぶん、ずっと好きだったけど、出来ないから、好きとは思えなかった。努力したくなかったのかも。

好きだと分かったら、出来ないままでは嫌だろうし。

今日のよさこいに関しても、好きな人は、踊りも観るのも止めない。準備もしっかりしてるしね。

私は、早めに帰るつもりだったから、雨の準備しなかった。

しっかり決めて無いと駄目だと思った。雨の準備してないから帰るって決めるか、観るなら雨の準備をするか。どうなったら、自分は嫌なのかの優先順位をしっかり把握して、行動すべきだった。

責任取りたくないから、しっかり決めなかったみたい。

でも、決めないと人のせいにしたり、不満が残る。

人の思いを聞く!とか、私は、こうする!と、自分がしっかり決めるのと、なんとなくでは、雲泥の差。


私は、よさこい自体が好きというより、自分が身体を動かすのが好き。祭りは、楽しいけどね。

楽しいという思いも、自分が楽しむと決めるか否かで、変わる。