自分の中の想い

感じること

それを言語化できなくて

もどかしく悔しい



だからといって


それが番人に受けるわけでもなく

理解される事でもない事も知っていて



まだまだこの世界の

システム的な部分や集合意識が

向いている方への抵抗や違和感があっても



それが求められる部分が

大いにあるだろうと思う。



だからこそ

もっと明晰さを持って

深い部分で理解ができるように


言葉だでなくエネルギー的にも

落とし込める深い領域のはなしが

出来るはずなのに




語彙力がなく

伝えたい事の半分も伝わらずに

歯痒くて悔しい思いをする




そしてそれが

正しいのか正しくないのかも

ジャッジしたり

他の人には受け入れてもらえない


間違った解釈をされると

本質的で大切な部分なのに


勿体ないから

と思うと


なかなか何から話せばいいやらで

言葉に出来ずにいる




ただ、その分かる

という領域の話を

言語化してくれてる人達もいて



その人の話や情報と私の感覚とを

すり合わせて落とし込む作業を

今している所だ。



それは荒削りのものが

磨かれて洗練させて行くような

そんな感覚かもしれない。



毎回、このフェーズに立つ時

今までの概念やこれがいい!と

思っていた事、周り、状況に対して



違和感が起こる。



それは自分が次のステージへ

行くための違和感であり



更に研ぎ澄まし洗練させて行く

段階だからこそ



生み出す前のしんどさのようなもので

非言語の世界から



物質の世界へと言葉として具現化する時



今までお世話になった領域や

周りの人たちとも離れる時が来る。



それがいつも後ろ髪引かれるような

自分の中での葛藤が起こる場面でもある。



けれど

わたしは私の人生を極めたくて

明晰さがほしくて



私が思うアイノカタチや


私の望む世界がある限り


進化と成長を止める事は一生出来ない。




まだ言葉にはうまく落とし込めていないけど

それを知る人に出会い、そこから学ぶという

事は、ある一定の段階に来た私にとっては

必要なことだとも解っている。



でも、慣れた場所から

離れる時って、本当にその選択が

正しいのかな?って自分の心が揺れたり

するんだよね。


みんなが向いてる方に居た方が

楽しいんじゃないか?



そっちの方が1人にならなくて済むじゃん

とかね。


とはいえ

そこを卒業したからと言って



じゃー本当に1人になるのかと言えば

新しい出会いや視点が加わり、視界が

広がって行く事も知っている。



ちょっと久しぶりの展開に

寂しさと、ワクワクさがあったりしている。