出来すぎている



自分で自分の世界を創っているのなら


他の人の死さえも

自分が創っている。



そう思う出来事があった。


数年間、私は

『無償の愛って何なんだろう』と

考えさせられる経験をしてきた。


どう向き合っても答えが出ないんだよ。


手放す理由は沢山あるのに

なかなか手放せなくて、それが

苦しくてエゴまみれの自分を責めたり

していた。



その内、無償の愛なんか

知る必要などないのでないかとも

思えてきた。


そもそも、人間として生きて

そんな小難しく答えの出ない事に

対して時間を割く必要がどこにあるのかと

怒りすら湧いてきた。



そんな時、数ヶ月間、祖母の介護で

実家に帰ることになる。

(前にも書いたけど)


祖母は暴れる、点滴が入らなくなる

水分が取れない、口からも食べ物を

入れられないで


このまま衰弱して行くだろうと思って

居たけど、そこから復活していく。



その間、私は無償の愛とは?を

何となく腑に落とす機会を貰った 

ように思う。



とある霊能者と名乗る方に

見てもらった時


『さくらさん!それはあなた、現実を

うまく頭で作り替えてるわよ!』



『嘘とはいはないけど、嘘を私に言う必要なんてないんだから、嘘とは思ってはいない。


いない、、、けど、それは作り込み過ぎ!』



そう言われた。


わたしはその時

『へぇーそう感じるんだ。確かにうまい

話し過ぎるよな』とも思った。



なぜなら、1219

私はある方にセッションを受けた後


本当の愛とは何なのかを

祖母は私に教える為に生きてくれたと

はっきりと自覚したからだ。


その瞬間、ふと1222日の冬至まで

保たないかもしれない。とも思った。


現実を創造しているのが自分だからだ。

私の魂はそれを知りたかった。

そして大事な人がその配役をしてくれ

ていることも母の時で理解していたからだ。



生死に関することは他人は関与出来ない

とも聞くけれど


私にとってそれが一番大切なことならば

祖母は私が気付くまでそれをし続けて

くれるだろうとも思った。


なによりも大好きでばぁちゃんっこ

だった私にだから。



そしたら本当に1221日の朝

母から電話で呼ばれて

死に目に会う事も出来てお別れも出来たの。



今日それを思い出していたんだ。


霊能者の方が

『それは出来過ぎた現実だ』



そう嘘だと思う方が自然だよなって。

本当に出来すぎている。


シナリオ通りだ。



シナリオ通り。



結局、上手く行くもいかないも

どちらでも良くて



必要な事や自分が知るべき事は

シナリオ通りに進んでいく。



そして、そのシナリオが目の前に

現れた時に


それを不運だと思うのか


それとも、いま自分がどう感じ 

どう生かしきるのか?を考え行動するのか



それで見えてくる現実も

想いも変わってくるという事。



現実は小説より奇なり。


今回の事は私は気付いていた。

その視点で世界を見ていたけれど


気付かないその視点で見ている時も

現実はやはり自分で創造しているんだよね。



それが目覚めて行く

という事なんだと思う。



特別な事でなくても 

日々の中での起こる出来事の中に

沢山の目覚めのきっかけやサインが

ある。



【そもそも自分で現実を創造している】



本当にココに尽きる。



そしてあの霊能者さんが

信じなかった出来事も



リアルに私は経験をしていたから

『貴方はそう思うのね』と動じる事が


なかった。



昔なら

私、勘違いだったのかな?

たまたま、、、だよね。

おこがましいこと言ってしまった



そう思っていたに違いない。


他人にどう言われても

動じなくなっていた自分が

いた事も嬉しかった✨