そういえば利助が「吉田松陰から俊英の俊を与えられ」とどこの文章にも書かれてあるけど、原本どこ見たらわかりますか?先生の書簡から分かるんだろうか…いやでもその名を使用していた頃には先生亡くなっているし。明治時代の彼の想い出話からだろうか![]()
後全然別の話になるけど栄太郎の風萍軒って号どこに使われてるの?
それから「忘八(亡八)」って語が長州萩藩周辺の書簡で使われてるの見る事あったら教えてほしい。まだ小説からしか見た事ない語なので。
栄太郎の安政3〜6、7年までの事は丁已幽室文稿と先生の書簡を読めば大きく期待されて動いている事が知れるので、吉田松陰全集は何度開いても全然飽きない![]()
安政4年9月2日に桂小五郎宛の書簡に
杉原辰之助組の者自稱吉田氏 榮太郎秀實は無逸
とあり、吉田は自称という事がわかるし、
↑の栄太郎が存在している時、萩藩内に(同姓)同名の吉田栄太郎という人物が存在する事は萩藩の史料から確定しているのですが、柳生新陰流の剣術を修めたのは後者の吉田栄太郎の可能性があったり。
吉田松陰全集ばかりお世話になってる気がする。
近年もデータ化されていない数行欠けていた部分がわかったりと、まだまだ研究が進められているので今後が楽しみです
お墓参りへは夏が終わったらまた再開しよう。
山口へも今冬あたりに行けたらいいな。
仕事が落ち着けばということで(仕事人間)