11月に友人数人と、
コンサートで歌うことになり、
数日前、
その練習のために
集まることになっていました。
その直前に
友人の一人から全員に向けて
メッセージが届きました。
最近、なんだか
元気が出ないんです。
何があったわけでもなく
気がついたらこうなっていて。
でも今日はみんなに会いたいから、
練習にはいかせてください。
ただ、いつもよりも
元気がないように見えても、
どうか気にしないでくださいね。
そんなメッセージでした。
その友人は、
いつも明るく、優しく、
誰に対しても細やで丁寧な
こころ遣いをしてくれる
ほんわかした印象の女性でした。
そんな彼女からの
メッセージを読んで、
あぁ、わかるなぁ。
と、瞬間、感じていた、
自分のこころを見つめました。
その時、私は、
彼女のそれとは
同じものではないとは思うけれど、
それでも、自分の経験として、
もうずいぶん前のことにはなりますが、
そんな時期があったことを
思い出していました。
その時の自分は。
自分のこころではなく、
相手のためになるように
誰に対しても優しく
自分よりも相手を優先に
そんな、
自分以外の場所に
重きを置いていました。
「優しさ」とは、
「愛」とは、
自分を横に置いて、
目の前の人のために、
できることを精一杯すること。
そう思って、
一生懸命「がんばって」いました。
そのうち。
なんだかぼんやりと、
何をしていいのかわからない
何をする気にもなれない
そんな想いが
霧のようにこころに広がって、
いつの間にか真っ白になって。
何も見えなくなってしまったような
そんな体験でした。
あぁ、
あの時の私は、
どうしたっけな?
と、思い返してみると。
どうしてこうなったのか?
なにがいけなかったのか?
と、
原因を探しても、
その時の私は見つけられなくて、
どうしたらいいんだろう?って、
不安になったり、
焦ったりした時間が長くあったこと。
そんな私は、
やりたいことがわからないことが多くて、
活動停止状態にはありましたが、
それでも。
日々の暮らしの中で、
停止ばかりもしてられないので、
やるべきことだと思っていた
日常のいろいろをしている中で、
「これはいやだな」
「これ、したくないな」
そんな
「いやだな」
という感覚だけは、
なんとなくわかったので、
「やりたくない」
「いやだ」
ということだけは、
「やらない」
という選択をすることを
自分に許してあげました。
やろうと思えばできるのに、
やらない自分に罪悪感を感じても、
このままでいいのだろうかと
今の自分に不安を感じても。
罪悪感や不安を感じて、
縮こまっている自分の隣で、
私の一番大切な人の悩みを
聞くような気持で、
全部聞いて受けとめました。
そして。
自分のこころが
嬉しいと思えないことは
選ばずに過ごし続けていると。
ある日。
トーン…
と、
何かが底を打つような音が
私の中に響いてきて。
あ、終わる。
そんな感覚を感じて。
そこから少しずつ、
こころの中の霧が薄くなって、
こころに色がよみがえりました。
自分のそんな体験を
思い出しながら。
目の前の人を大切にするのと
同じように
自分のこころを大切にすることを
あの時、学んだと感じた、
自分の感覚を胸に広げて。
感謝しました。
目の前の友人は、
私のこころの内側の映しだから。
自分自身が、
どんな自分のことも許して、
大切にしてあげられると、
自分がとっても安心して、
息ができるような感覚になったこと
このことを思い出すことが、
今の私には必要だったんだ。
友人が想いを届けてくれたから、
このことを今、私は、
思い出すことができた。
そのことにこころから感謝し。
そして、
祈りました。
今日出会う友人に、
自分の体験の何かを
渡す必要があるなら、
その時間が与えられますように。
もし、直接なにもなくても、
友人の想いをうけて
私が私を見つめて愛を学ぶことで、
友人のこころにも
愛が届きますように。
そして、
友人たちとの練習に行きました。
その練習の帰り道。
あまりないことですが、
元気のない友人を含めた
数人の友人と一緒に
私の車で帰る流れになりました。
そして。
みんなでいろいろ話し、
私も私の体験を少し
話すことができました。
そんな、
友人たちとの
和やかでやさしさがあふれる
車内の空気に
私のこころも和んだ時間を
過ごすことができました。
