ここ数年、
体調に変化を感じてきました。
特にこの春からは、
毎日、身体の痛みがあり、
ずっと自分の身体とこころと
向き合って過ごしていました。
その痛みが、
ここにきてやっと、
落ち着いてきました。
まだまだ波はあるので、
いつも
「今、どうかな?」
と、
身体と相談しながら
過ごしているのは変わりませんが、
それでも。
「痛くない」
「大丈夫だ」
と、
感じられる時間が
増えてきました。
いつ始まり、
いつ終わるのかわからず。
痛み始めると、
ただただ痛くて、
立っていることも
座っていることもできなくなる。
私にとって、
それほどの身体の痛みを
感じながら過ごすのは
はじめてのことで。
本当につらく、
苦しくも感じられました。
でも、その痛みも。
私を苦しめてやろう
とか、
過去の私の何かが悪かったから
という理由で、
悪いことが起こっている
訳ではなく。
ただただ、
身体がよくなっていこうとしている
そのサインなのだと受けとめて、
逆に今までずっと、
何も言わずにがんばってくれてきた
身体に感謝して、
自分の身体のお手当てをしながら
過ごしていました。
身体の痛みは、
本当につらいものでしたが、
でも、
その痛みのおかげで、
気づいたこと、
見えてきたものもたくさんあります。
その一番大きなものは、
周りの人たちの
優しさと思いやりです。
私は、
意地っ張りで
強がってしまうところもあり、
誰かからの優しさや思いやりを
受けとるのが下手でした。
ついつい、
一人でがんばろうとして、
「助けて」と言えず、
「大丈夫です」と言ってしまう。
そんな自分でした。
でも。
この痛みと過ごした半年間は、
とてもじゃないけれども、
一人ではがんばれませんでした。
「できなくてごめんなさい」
と言って、
許してもらうことと、
「助けてください」
と言って、
助けてもらうことばかりでした。
最初は、
痛くて動けなくて、
周りに迷惑ばかりかけてしまう
そんな自分が本当に嫌になりました。
嫌にはなるものの
どうしようもできない
そんな時間を過ごしながら、
ふと、周りを見渡すと。
迷惑だと思いながら、
私のそばにいる人は
誰もいませんでした。
一緒に暮らす家族は、
家事が思うようにできなくなった
私のことを何も言わず、
いろいろなことを手伝いながら、
見守ってくれました。
親しい友人たちも、
何かあったら手を貸せるように
いろいろ準備をしながら、
それぞれ、
いつも通りに接してくれました。
そのみんなの
あたたかさと優しさに
痛みでこころが
折れそうになった私が
何度救われたことかわかりません。
この痛みがなければ、
出会うこともなく、
感じることもなかったであろう、
この「ありがたさ」を
私がこころから感じられたこと。
このことは、
私の人生の宝物です。
痛みが届けてくれたのは、
あったかい愛でした。
ここからも、
身体を労わりながら、
みんなからもらった
やさしさと思いやりを胸に、
私が、
やさしさと思いやりを
生きていこうと思います。
