忘れないようにメモメモ(日本の歴史、近代史) -15ページ目

竹槍と「必敗の信念」

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 国防は信念に立脚する。信念のゆきつくところは、わがアジアに於いては、竹槍がこれを象徴している。竹槍は「侵略」用としては今日不可能な兵器だが、国防の極致の信念の象徴である。
国防は装備より信念である。軍隊に於いて最も大切な物は、この信念に共通する健軍理想でなければならない。たゞ戦争を職業とし金銭供与によつて戦争を担う軍隊は、最も不安定な存在であり、且つそれはこの上ない人道上の犯罪である。
 この故に自衛軍を考へるまへに、建軍本義を考へるべきだ。愛国心の実体を省みるべきだ。道義上の犯罪にすぎない軍隊を作ることは、神人ともに許さぬところである。
事実の上で考へても、近代戦遂行能力の失墜を以て、戦争の終焉と考へる如き「国防軍」を、国民は承認しない。とすれば国防軍の極致は、近代戦遂行能力の完全失墜の後に始まると考へねばならぬ。アジアの近代史には、「侵略」の経験なく、一切が防衛であったから、この防衛観念が、直ちに建軍理念となっている。これがアジアの竹槍戦思想である。竹槍は侵略の表象でなく、自衛の象徴だ。このやうな理念になる軍団を、「侵略」に利用するといふことは、一時の成功を収めるかもしれぬが、永続しない。これは真理が未だ滅んでゐない証拠だ。我国の現状では、未だ信念が十分でないから、例へ出現した時にも自衛軍は形骸としてしか成立せぬであらう。我々はこれを恐れる。それは無い方が良いからだ。こゝ半年一年それがないとして、色々に国民が対策を考へるなら、窮して通ずるも良法を思ひつくと思ふ。
 芦田の如き、人間的に最も信頼し難い、恥さらしの品性の持主や、民主党という日和見主義の狭さしか持たない政党が、再武装論といふ目先だけの主張をするから、かういふ気運でもし何かがつくられるものとすれば、それは結局、大事を無くするために役立つものとなるだらう。芦田が侵略と革命騒動を予想して、警察隊では不可、軍隊でなければならぬといふ以上(それは間違ひでない)彼はその時の建軍の理想を当然云ふべきだ。それを云はない限り、警と軍の二つの区別は存在しない。さういふ説は政治的欺瞞にすぎない。今日では建軍理想は、決して暗黙のうちに了解される類のものでないのだ。理想もなくただ金銭供与によって殺戮に従事する如き軍隊組織を作ることは、第一に良心の許さぬところである。
 今日の世相を見ると、日本の知識職業階級や知的公務員階層の間に、必敗の信念と云ったものが、横溢してゐる。これは、最も嘆かはしい現象だ。彼らの「必敗の信念」は、決して従つて、ソ連に加担し、自己の信念を「必勝の信念」の側に転化するといふことはしない。何となれば、「必勝の信念」を口にすれば、何かの形で勝利のための実践をせねばならぬ。それは何らかの「愛国」行為を伴ふ。国民に対する良心からの行動は、これらの連中の絶対にとらないところである。
 彼らはさきの戦争中は、みな「必勝の信念」を口にして、戦後に驚倒した。さうして自身が口にした「必勝の信念」を、人から無理に云はせられたものだと強弁した。
 もともと無理に云はせられるといふことはないのだ。云はぬつもりなら、脅迫によつて云ふ必要は無い。万一の場合も一度云へば二度と云ふ必要がない。二度目はもう「脅迫」によつてとは云へないはずだ。これが「近代」に於ける「自由」の限度だ。ここを忘れてはならない。一度だけなら「脅迫」といふことを、辛く認めよう。二度目に云ふ方は本人の「自由」の言動だ。これだけは「人間」としてもつべき良心である。この良心がなけれぱ、この世に信ずべきものがなくなる。「自由」といふものも存在しなくなる。
 ともかく今日の知識階級は、一つの「必敗の信念」をもち、それをもつことを知識人の資格の如く考えてゐる。それはことばの上でも心理上でも、「必勝の信念」の反動にすぎない。さうしてそれによつて、一種の安心を形成してゐる。この日和見主義は恐ろしい存在だ。愛国者は緊急にこの精神の虚無状態を粛正すべきである。この虚無状態は、無良心であり、無責任であり、且つ無気力である。日和見の態度がいけないのである。
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保田與重郎 昭和二十六年 祖国正論 二月号

「スパイ防止法を葬った『金丸信』」 「マルクス・レーニン主義時代の残党、『朝日』」

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