過ぎ去った今 | 忘れないようにメモメモ(日本の歴史、近代史)

過ぎ去った今

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子どもたちは、どこの米かわからないような米ではなく、土地の米から、土地の野菜から、近くの海の魚から彼らの身体をもらった。土地の声である地方語から心をもらった。なだらかな山と静かな入り海と湖と、それにはさまれたこきざみの田や畑から気質をもらった。
中海と宍道湖のみがきのかかった床の間に秀麗な大山の大福(大きな掛軸)かかった座敷。こんな座敷で、出雲の子どもたちは育った。それから複雑な地形はいろいろな植物を育てた。大量にとれるものはなかったが、そうかといって、どんな暮らしにもゆき渡らないものはなかった。だから、石見や伯耆の人たちが日本海からのきびしいしつけを受けていたのに比べると、たぶんに甘やかされていた。
また、中海と宍道湖とは出雲人にとっては鏡でもあった。この二つの合わせ鏡をして松江の町は今に自分の姿をうっとりと見とれている。
子どもたちの町だってそうであった。十神山に立てかけられた入り込んだ港の水鏡を前にして、この千軒の町安来は身をやつしていた。
どこの子どもたちもそうであるように、ここの子どもたちも、ものごころがつくとみな群れて遊んだ。そして、同じ焦点に向かってシャッターを切った。明治三十年前後の町の子どもたちはどういうものを見ていたか、また、どういうものに見られていたか。そのうちのひとりが、六十年もたって見たこれらのものは、その影像の一部である。
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規範 国語読本 河井寛次郎