戦後の意識 | 忘れないようにメモメモ(日本の歴史、近代史)

戦後の意識

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戦争の勝敗が国家間の武力の優劣に原因を持つ現象であるならば、勝敗は世の常のならはしであり、敗けたことに何ら倫理、道徳の上で負ひ目はないはずである。しかし大東亜戦争という聖戦は、敗北の日を境にして帝国主義侵略戦争といふことになつた。戦争目的あるいは動機自体が敗北によつて一変した。無論、日本が受諾したポツダム宣言は第六条に日本の戦争目的を、「無責任なる軍国主義が……日本国国民を欺瞞し之をして世界征服の挙に出づるの過誤を犯さしめたる」ものと規定してゐる。戦勝国の戦争は善であり、敗戦国のやつたことはすべて悪だといふ単純な決めつけである。敗戦後の日本人がこの決めつけにたいへん従順だつたことは私らの記憶に今なほ新らしい。そして戦勝国のこの決めつけは、戦後日本社会のイデオロギイになつたのである。
~略~
戦後の意識の趨勢は、大東亜戦争といふ思想に潜在的に含まれてゐたそれら思想の原液の、すべて無責任な軍国主義の世界制覇の野望と決めつけた戦勝国の断定に屈従した。そして戦後の政府は、「日本国国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化」(ポツダム宣言第十条)に努めるべく、福沢諭吉の「天は人の上に人を作らず」を、従来日本国民の「民主主義的傾向の復活」の証明のやうにとりあげ、宣伝した。しかし福沢諭吉が明治のはじめ、日本の自衛のために決断した西欧文明一元論による近代化や脱亜欧化の方向が、日中衝突となり、近代戦としての大東亜戦争によつて破綻したといふ歴史の皮肉を、戦後の民主主義は一顧だにしなかつたのである。
おそろしい歴史感覚の欠落があつたとしか云ひやうがない。戦後を「第二の開国」と考へる発想は、いはば文明開化をもう一度繰返すことであり、もつと強力な近代を実現する意図であつたのだろうか。近代の枠内で考へる限り、近代戦による敗北は自国の近代の劣等性の認識となり、弁解の余地ない自虐感情の原因を生むであらう。そこで敗北は二重になる。戦争の敗北と文明の敗北と。ここで文明といふのは機械、テクノロジイの高度の発展を意味しない。或る国家、社会を構成する個人が歴史的に形づくられた美意識によって振舞ふときの振舞ひの総和といつた意味である。
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桶谷秀昭「保田與重郎」